天声人語は共産主義の狂気ではなく、旧日本軍に重ねて納得する…未熟者には殺しはできてもコラムは難しい

以下は本日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。
最後の文章の冴えには、慧眼の士は、皆、感嘆したはずである。
未熟な者たち
新聞記者の第一歩は水戸支局だった。
そこでまず教わったのが「菜っ葉の肥やし」だった。
菜っ葉は下肥(しもごえ)や追い肥(ごえ)はいらない。掛け肥(ごえ)だけ。
「少なくとも県外」とか「掛け声だけ」勇ましいのを当て擦る言葉だ。
いい表現だと思って東京本社に上がったら誰もそんな言い方をしない。
あれは農業県だけの言い回しなのかもしれない。
それでも当時の過激派の主張には「菜っ葉の肥やし」的なのが多かった。
例えば猫を被る宮本顕治が許せなくて飛び出した京浜安保共闘だ。
「革命は銃口から」に従ってまず真岡の銃砲店を襲って散弾銃や空気銃計11丁を手に入れた。
赤軍派はもっと気宇壮大で、海外に軍事訓練基地を置くことから始めた。
で、その資金調達に船橋の郵便局を襲って1万5000円を、次に世田谷でひったくりをやって3万8000円を得た。
菜っ葉の肥やし風に見えるが気は天を蓋(おお)った。
両派は僅かな軍資金と僅かな銃を持ち寄って榛名山のアジトに集い、連合赤軍を結成した。
今からちょうど50年前のことだ。赤軍派の頭は森恒夫だった。
とても臆病で、加藤登紀子の亭主藤本敏夫と別のセクトに捕まったときは「殴らないで。何でもするから」と泣き伏した。
内ゲバも逃げ回ったくせに激しやすい。菅直人にそっくりで田宮高麿に「あれはダメだ」と言われた。
京浜安保共闘は永田洋子が頭で、彼女はあまり美貌ではなかった。その僻みが森とマッチングした。
その野合集団について「化粧をしたとか些細なことで共産主義に目覚めていないとリンチされた」と天声人語が書いていた。
それは違う。両派とも女は男の性の捌け口になる準会員扱いだった。だからみな綺麗な子が多かった。
永田洋子以外みな化粧もしたし、キスもすれば男と一緒に寝てもいる。
天声人語は男女の戦士と戯れるのを「幹部が(共産主義化か)不十分だとみなしたメンバーに暴行を加えた」と続けているが、それも違う。
永田が特定の女を僻んで名指しし、森が同調して相手の男ともども総括対象にしたと、死刑囚監房にいる坂口弘が『あさま山荘1972』に詳述している。
森と永田が最初の総括対象を決めたのは71年12月27日。榛名山アジトに入って僅か1週間目だった。
坂口によると、その日、小嶋和子とキスをした加藤能敬を森が「殴って総括する」と言い出した。
「殴って気絶させる。気絶から覚めた時には別人に生まれ変わって真の共産主義化を受け入れる」と。
そんなことレーニンも宮本顕治も言っていない。
実は森には北野高校時代剣道の試合で気絶したことがあった。
「気絶から覚めたとき何もかも清々しかった」森はそれを共産主義の名で殴る正当な理由にした。
永田「どのくらい殴れば気絶するの?」森「顔が2倍に膨れるまで殴れば気絶するだろう」永田は再度「本当に気絶するの?」森が頷き、加藤能敬のリンチが始まった。
小嶋和子も尾崎充男も殴られた。しかしどんなに殴ってもヒトは気絶しない。坂東国男は鳩尾を殴れと言った。
時代劇の当て身だ。映画ではすぐ気絶する。尾崎は何度も腹を殴られ、夜明けに死んだ。
「殴っても気絶しないどころか死んでしまった」と坂口は驚愕する。
しかし森と永田の虚勢は止まらなかった。妊娠8ヵ月の金子みちよに至るまで2ヵ月間に12人を殺したところで組織は崩壊した。
宮本顕治も含めて未熟な男たちが共産主義を語っては平気で人を殺してきた。
それが教訓のはずの事件だが、天声人語は共産主義の狂気ではなく、旧日本軍に重ねて納得する。
トインビーはその日本軍を「白人植民地帝国主義を打ち砕く歴史的偉業を成し遂げた」と評価する。
未熟者には殺しはできてもコラムは難しい。

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