このお母さんこそ、成仏すべき人だと、心から、強く思った。
金閣寺放火事件の背景を辿り、水上勉の『金閣炎上』に描かれた母と子の姿に触れながら、人間の業と献身、母性の深さを静かに見つめ直す随想。
2017-05-13発信。
このお母さんこそ、成仏すべき人だと、心から、強く思った。
2017-05-13。
林賢養のお母さんこそ成仏すべき人…。
2011-01-04。
おはようございます。
早寝早起きの生活をしている。
下らぬテレビなんぞは観ないどころか、新聞すらも読まない。
去年までは必ず観ていたラグビー早明戦すら観ない。
結果すら読まない、見ないほどに。
昨日は、アップすべき写真を見ていたりしていて、いつもより遅く十二時半過ぎに寝たのだが、確か、六時前後に目を覚ました。
金閣寺・完成写真の最初に在る、京都市の立札書きがあった、樹齢数百年の大木の根っこ。
木の名前をきちんと見もしなかったので、ネットで、金閣寺入口の木と叩いたが、出て来なかった。
けれども、そのおかげで、とても良い記事に出会った。
この中で、私の心をとらえた部分を以下に抜粋する。
水上勉の「金閣炎上」では。
前略。
文中強調は私。
当時、成生には中学へゆく者はいなかった。
もう一つは、学資はともかく、学用品その他の費用は里の兄に出してもらう約束になっていたこと。
そんなことならと思い切って、卒業までの教育を兄にあずけたか。
最後の一つは、道源に病気の極度な進行がわかったので、伝染をおそれたとみてよい。
安岡移住には、この三つの理由のいずれもがかさなっている気もする。
志満子が、日傘をさして、成生から安岡まで、自転車にも乗らず、一日がかりで往還する姿をみせるようになるのもこの年まわりからだった。
成生の人々は、三里の崖道で、たもの木や椎の木蔭に、腰をおろしては海をみている志満子に出あった。
このサイトに行く前に、金閣寺や銀閣寺、天竜寺、これら室町時代のエッセンスを読んでいた。
そう言えば、金閣寺に放火したのは、寺の、若い修行僧ではなかったかな、と、思った。
三島由紀夫の小説は、実話に基づいた物ではなかったかな、と、思って、検索したら、この、東京紅団さんの、素晴らしい労作に出会った。
前記の文章が、何故、私の心をとらえたか。
男と女。
母親と息子。
このお母さんこそ、成仏すべき人だと、心から、強く思った。
私は、今も、涙が溢れる。