中国三千年・四千年という虚構に最初に気づいた瞬間
2004年2月26日、大阪府下全域への日経新聞折込論文執筆中に筆者が看破した「中国三千年・四千年文明」神話の虚構性。その気づきが大阪維新の胎動と重なり、中国史観・共産主義・文化断絶を批判的に検証する原点となった論考。
2017-05-21
私はその論文を書いている時に、中国三千年、四千年という常套文句の間違いに気づいた。
2004年2月26日、大阪府下で日経新聞を購読している全世帯に向け、私が人生の舞台として選択した大阪を総括するため、折り込み広告という形で提言した論文は、大阪中の政治家や経営者たちの心に、これ以上ない衝撃を与えた。
この論文が大阪維新の会の発足を促したと私が考えていることは、読者の皆さんがご存知のとおりである。
私はその論文を書いている最中に、中国三千年、四千年という言い回しが、歴史的事実として成立していないことに気づいた。
その事実を世に知らしめた最初の人間が私であることも、読者は皆、承知しているはずだ。
当時も書き、ここでも何度か言及してきたが、中国三千年、四千年という表現は、中華料理の世界でなら成立するのかもしれない。
もっとも、それすら疑問符が付くのだが。
しかし、歴史の真実から見れば、これは完全な虚構である。
私はそのことに気づき、世に伝えたのである。
「From 大阪 to Osaka」
2004-02-26
前文略。
年末、偶然目にしたチャン・ツィイーの、異様なまでの美しさ。
才能的には中国の大竹しのぶ。
顔立ちは後藤久美子。
美は一瞬の中にしか存在しない、とも言われる。
彼女の放つ言葉の一つ一つも、異様なほどに美しく、異様なほどに迸っていた。
その強烈な刺激の翌朝、私は気づいた。
彼女が「新しい人」であるという事実に。
ささくれ立った荒野の中に、新しい人が生まれたのだ。
だからこそ、異様なまでに美しい。
彼女の踊りには伝統があるではないか、と言う人もいるだろう。
しかし、その思考こそが、すべてを見失わせる。
あれは伝統などではない。
伝統を粉々に打ち砕いた共産主義が生み出した踊りの結果である。
中国人の血が流れている、という程度の話に過ぎない。
異民族に支配され、あるいは先進国に蹂躙され、歴史を寸断され続けてきた中国人の気性は、一帆順風。
風が吹けば、帆を最大に張る。
頭と胴体が分裂したような異形であっても、構わず突っ走れる。
後略。