偶然では説明できないもの— 生命の巧妙さと、ある一日の巡り合わせ —
地球上の生命が見せる驚異的な巧妙さと、京都での一日の体験を通じて、単なる偶然では説明できない出来事の連なりを静かに考察する随想。自然、記憶、予感が交錯する瞬間を描く。
2016-03-21
単なる偶然とは言いきれない事があると、私は最近思うのである。
私たちが住んでいる、この地球上で営まれている様々な生命の信じがたいほどの巧妙さには、驚くしかないのだが。
先日、天気が良かったから嵐山に向かおうとして列車を待ってプラットフォームに居た時、閖上のYさんから、重いインフルエンザにかかって寝込んでいるとのメッセージが入った。
しっかり温まって、ゆっくり休んでくださいと返信した。
私の旅はいつも風任せでもあるのだが、この日は、なぜか嵐山を変更して、先ずは河原町四条に向かう事とした。
以前は敬遠していた祇園から円山公園に向かう道が、日に日に好きになっていたからだろう。
円山公園に入って、私は「銀河鉄道の夜」の鳥捕りになった。
シジュウカラ、シロハラ、キセキレイが現れた。
特にキセキレイは、やっと心行くまで撮影した。
少しばかり疲労を感じたから自動販売機でコーヒーを買い、その前にあったボックスに座って高山正之の本を読んでいた。
さぁ、動こうかと友人に声を掛けて振り返って驚いた。
何とカワセミがいたのである。
何百回と訪れている場所、ましてや観光客が途切れることなく居る場所に、カワセミが姿を現す。
嵐山の中之島公園、中の島橋の麓で天然温泉掘削の工事が行われていた時、私が、やりたかったなと思った。
以来、すっかり、こちら側には全く来なかった。
JR嵯峨嵐山線をもっぱら利用し、たまに嵐電に乗る。
だが阪急には全く乗らなくなっていたからだ。
ここで、釣り人から聞いた翌日に、カワセミが現れた事は書いた通りだが、書かなかった事があるのである。
私は前述の温泉施設が見事に完成して出来た露天風呂で、そこに在る木に居るヒヨドリと猛烈に鳴き合戦をしていたのである。
その翌日にカワセミが現れた。
風風の湯の休憩室の窓の外にはイカルが現れた。
きっとそこに居ると予感して翌日、大沢の池で大群と会った。
中之島公園ではツグミの大群と会った。
この時、写真を撮影していた私を観ていた友人は、私が向こう側に行っていると見えたらしい。
そのまま気がふれてしまったら、どうしよう、その時はその時だなどと平気で考えていたと言うのだから、まいったが。
冒頭に戻るが、数日経って、ふと思ったのである。
何百回も訪れている場所、ただの一度もカワセミを見た事が無い場所。
あそこに、単なる偶然で、カワセミが現れるだろうか。
昨日、Yさんから、超寝込んでしまいましたが、明日から仕事に出ます、とのメッセージが入った。