「鬼畜米英」扇動が日米開戦を決定づけた――朝日新聞社とFDRの歴史的責任

「鬼畜米英」を叫び日米開戦へ世論を押し流した最大勢力が朝日新聞であったという歴史的事実を検証する。近衛文麿の決死の和平努力、ハル・ノートの本質、FDR政権の無視と私生活の堕落、そして尾崎秀実の工作を通じて、戦争回避が潰された構造を明らかにする。


鬼畜米英と叫んで、日米開戦に至らせた最大勢力が朝日新聞社だった事は歴史的な事実である。
2017-06-10
私がフランクリン・D・ルーズベルトを、薄汚い浮気野郎、不倫野郎と罵る理由について述べておく。
当時の日本の首相だった近衛文麿が、
決死の覚悟で日米戦争を回避するため、日米首相会談を開催しようとしていたという歴史的事実を、
私が知ったのも、3年前の8月以降の事である。
1924年の移民法によって、日本からの移民が全面的に禁止された時から、
日本国内には反米感情が沸き起こっていた。
そして、その反米感情を煽ったトップランナーが朝日新聞だった事は言うまでもない。
最終的に、日米戦争に至らせたFDR政権の国務長官コーデル・ハルにより、
「ハル・ノート」を突き付けられた日本に対し、
鬼畜米英と叫んで日米開戦へと導いた最大勢力が朝日新聞社であった事は、
動かしがたい歴史的事実である。
ハル・ノートが米国内でも批判された、
FDR政権の独断による日本への最後通告であった事を、
前述の『アメリカの鏡・日本』の著者であるヘレン・ミアーズは教えてくれる。
軍部が、当時、世界最大・最強の国であった米国との戦争を回避したかったのは、
至極当然の事である。
現在、中国共産党の一党独裁政権が、
国際法を無視し横暴を極めながらも、
米国との戦争だけは何としても回避しようとしている姿を見れば、
当時の日本の軍部が、米国との戦争を避けようとしていた事は論を待たない。
軍部に後戻りをさせなかったのが、
ソ連のスパイであった尾崎秀実の工作であり、
朝日新聞社の「鬼畜米英」キャンペーンによって、
日本国民の世論は、軍部ですら押し戻せない状態に追い込まれていたのである。
このような状況下で、
近衛文麿が日米戦争回避のための日米首脳会談を開催しようとした事は、
決死の覚悟以外の何物でもなかった。
彼は、もし日米首脳会談を成功させ、開戦を防ぐ事が出来たなら、
予想されていた猛烈な反対に対しては、
切腹してでも説得する覚悟だったのである。
日本は、アジアで初めて欧米列強の仲間入りを果たした大国である。
日清・日露戦争に勝利した。
とりわけ日露戦争は、有色人種が白人を打ち破った人類史上の画期的事件であった。
当時、世界最強の一角と目されていたロシアを打ち破った事は、
中東からアジアに至るまで、
賞賛と感動という計り知れない衝撃を与えた。
その大国の首相が、
一億の民のために命を賭して、
日米首脳会談を極秘に実現しようと必死に画策していた時、
FDRはそれらを全て無視し、日本を日米開戦へと導いた。
では、その時FDRは何をしていたのか。
自らが進めていた悪を忘れるためか、
それとも彼本来の性癖だったのか、
不倫に明け暮れていたのである。
その実態を見事に明らかにした論文を、
渡辺惣樹が、
月刊誌 Voice 5月号に寄稿している。
その続きを、次章で紹介する。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください