地球温暖化の正体――それは環境問題ではなく文明の問題である

地球温暖化の本質は、中国とインドにおける深刻な大気汚染と政治・社会構造の問題にある。日本が歩んだ環境改善の歴史と対比しながら、文明としての在り方を問う論考。

2017-06-11
小説家が主人公を軸にして物語を書き進めて行くうちに、登場人物たちがそれぞれに生命を持ち出して来る。
小説とはおうおうにしてそういうものだろう。
私が2010年7月に、仕方なく、この様にして、文明のターンテーブルを引っ提げて登場以来、書き続けている事は、読者はご存知のとおり。
先日、私が地球温暖化について世界の誰も気づかなかった事に気づき世界に発信した時、私は、正に、書き続けていたから気が付いたのである。
つまり、地球温暖化の問題とは、中国とインドの、もはや人間が住める環境ではない大気汚染の問題である、ということにである。
彼らの国の大気汚染は昨日今日、始まったものではない。
もう数十年以上に渡って続いているのである。
日本は中国に人類史上最大級の資金と技術の援助を行って来た。
その事も大いに寄与して、今の人口大国だけではない、名目上は、米国に次ぐGDPを持つ世界第二の経済大国としての中国の現在がある。
日本では、一人の命は地球より重い。
時の首相も発言、メディアも書き続けて来たとおり、一人の命を何よりも大事にする国である。
焼け野原にされ、占領された後に、日本を奇跡的に再興する過程の経済発展途上で、環境汚染が生じた時、日本は、直ちに、これらを改善した。
だが、中国はどうか。
中国は、一人の命は地球よりも重い国か。
全くそうではあるまい。
それは、もはや人間が住める環境ではない大気汚染を放置したまま、しかも、この大気汚染は、日本を含めた台湾、朝鮮半島にも定期的に襲い、例えば北海道では樹木を枯らしている。
その一方で、莫大な金額を軍事力の増強に振り向け続けている事にも明らかだろう。
つまり、地球温暖化とは、共産党の一党独裁政治をどうするのか、インドのカースト制度をどうするのか、という問題だったのである。
それが証拠に、各種のスポーツが行われる米国の空は、いつも見事な青空なのである。
この稿続く。

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