外国人の手を借りて日本を貶めるという倒錯
国連特別報告者による対日報告書の問題点と、それに偏った情報を与えた日本人側の責任を、産経抄をもとに検証する。外国人の権威を利用して国際社会で自国の評価を下げる行為の意味と、その精神構造を問う。
2017-06-15
以下は昨日の産経新聞フロントページ、産経抄からである。
文中強調は私。
外国人の手になる日本論は、おびただしい数にのぼる。
アメリカ文学者の佐伯彰一さんは、この種の書物を求めて、国内外の古書店を訪ね歩いた。
「こちらの思いもかけぬ角度からの照明、細部への注目に、はっと驚かされ、その都度眼を開かれる」からだという。
米カリフォルニア大アーバイン校教授のデービッド・ケイ氏の「日本論」には、まったく違う意味で驚かされる。
表現の自由に関する国連特別報告者としてまとめた「対日調査報告書」は、誤解と偏見に満ちていた。
たとえばケイ氏は、政府当局者からの直接、間接の圧力によって、メディアの独立性に懸念がある、と指摘する。
何を証拠に決めつけるのか。
どこかの国のように、政府に批判的なジャーナリストが、殺害されることはない。
デモに参加しただけで、拘束されることもない。
ケイ氏は昨年四月、政府の招待で来日した。
たった一週間の情報収集だけで、報告書はまとめられた。
優秀な通訳の助けを借りて、せめて新聞や雑誌、テレビの報道を精査してほしかった。
メディアがどれほど多様な情報や意見を伝えているか、実感できたはずだ。
慰安婦問題や組織犯罪処罰法改正案についても、事実誤認がある。
日本政府の説明には、一切耳を傾けなかった。
最初から結論ありきだった、と勘ぐりたくもなる。
何より理解に苦しむのが、ケイ氏に偏った情報を吹き込んだ、日本の市民活動家や報道関係者の了見である。
外国人の手を借りて、国際社会で日本のイメージを貶める行為に、どんな意味があるのだろう。
もっとも、彼らの行動原理を分析したら、それはそれで興味深い「日本人論」が出来上がるかもしれない。