事後法禁止の原則と、国会による戦犯救済
東京裁判は国際法に基づかない犯罪概念を遡及適用した点で「事後法禁止の原則」に反する。日本は講和後、東京裁判の「諸判決」を廃止し、国会は全会一致で戦犯を通常の戦没者として救済した。にもかかわらず、事実を意図的に無視する勢力が東京裁判史観を温存してきた構造を明らかにする。
2017-06-15
以下は前章の続きである。
国会は全会一致で戦犯を救済した
どの国際法の条文にも基づいていない犯罪を遡って裁こうとするのは、「事後法禁止の原則」に抵触します。
事後法の禁止(法の不遡及)は、法律は制定以前の事実にたいして遡って適用してはならないということであり、文明国と非文明国とを分ける目安のひとつと考えられていました。
「法は遡らない」ことは、法治国家の根本原則であり、これを侵すことはおよそ文明国のやるべきことではありません。
日本の封建時代では、殿様が首を切れと命令したら、そうせざるを得なかったのですが、それでは文明国とは認められません。
東京裁判の「諸判決」は日本を侵略国と決めつけて、絞首刑七名、終身禁錮刑十六名、有期禁錮刑二人に処しました。
日本が独立回復した後、日本は侵略国だということを、「日本悪しかれ」と主張する勢力はさかんに喧伝していきました。
彼らの特徴は、自分たちの言い分を覆すような点を都合よく省くところにあります。
それは、二〇〇五年八月号でも書いたように、例えば昨今の靖國神社問題において、朝日新聞や加藤紘一衆院議員が、「日本はサンフランシスコ講和条約で、東京裁判を受け入れた」と主張しましたが、じつは日本は東京裁判の「諸判決」を受諾したに過ぎません。
それを「東京裁判自体を受諾した」と彼らは言い募る。
まるで条約の第十一条後半を読んでいないかのような不勉強ぶりを見せているのです。
第十一条後半には「諸判決」を停止させる、つまり廃止させる条件がついている。
日本はこれに基づいて諸判決を廃止したのです。
どの国からも文句は出なかったのです。
このことを朝日新聞などは故意にネグレクト(無視)しているのかもしれない。
そして同じように、不勉強な首相も官房長官も「裁判を受諾しました」という旨を平然と言い放ってしまう。
講和条約が成立した後、昭和二十八(一九五三)年第十六回特別国会で、全会一致で改正遺族援護法が成立しました。
東京裁判等で戦犯となった人間を、通常の戦死者と同様に扱うことを社会党・共産党を含む全会一致で決定したのです。
日本は侵略国だと認定されて、いちばん喜んだのは共産党をはじめとする左翼の連中でした。
戦前彼らは弾圧されましたから、彼らからすれば戦前の日本は悪い国です。
しかし戦前の共産党とは何だったか。
すなわちコミンテルン日本支部であり、コミンテルンからカネと指令を受けて日本国転覆を謀っていた輩です。
その残党が、公職追放令によって空きができたところに入り込み、戦後アカデミズムやジャーナリズムの世界に浸透していった。
日教組という形で教育界にも入り込んだ。
その彼らが東京裁判史観という「梅毒菌」を保持しているのです。
われわれはそろそろ梅毒を根治する時期に来ています。