真相黙殺「井伏鱒二現象」 ― マッカーサー証言を報じなかった日本メディア

東京裁判の実体を示す決定的証言を、当時の日本マスコミは一切報じなかった。マッカーサー元帥が米上院で語った「日本は自衛のために戦争をした」という証言と、それを黙殺した戦後メディアの構造を「井伏鱒二現象」として指摘する。

2017-06-15
以下は前章の続きである。
真相黙殺「井伏鱒二現象」
第二段階では、東京裁判の実体が、いったいどんなものだったのかを教えるようにします。
通常の裁判では、管轄権の範囲が定まらない裁判はすぐに公訴棄却されるのに、東京裁判は、国際法にも依らない、管轄権も不明なままに行われた裁判でした。
極東国際軍事裁判所を設置し、判事たちを任命したのは連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥です。
そのマッカーサー自身は、アメリカ本国に呼び戻されて、昭和二十六年(一九五一)年五月三日、アメリカ合衆国議会の上院軍事外交合同委員会で、極めて重要かつ決定的な証言をします。
アメリカの上院は、「盲腸」と揶揄される日本の参議院と違って、各州の代表として選出されてきた議員によって構成され、「各州共通の関心事」を論じます。
何を論じるかというと、軍事と外交なんです。
ですからアメリカ上院の軍事外交合同委員会というのは、一番権威のある委員会であるといわれる。
その場でマッカーサーは決定的な証言をしたのです。
ヒッケンルーパー議員の質問にたいし、「日本は八千万に近い厖大な人口を抱え、それが四つの島の中にひしめいているのだということを理解していただかなくてはなりません。
その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。
日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。
彼等は綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。
その他実に多くの原料が欠如している。
そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。
したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだったのです」と証言しました。
つまり、日本は「自衛のために戦争をした」と。
こんな重要な発言を、当時報じたマスコミは皆無でした。
その証言があったときは、日本はまだ占領下でしたから、検閲される恐れがあったかもしれない。
しかし、占領が終わった後で、なぜそれを伝えなかったのか。
当時の日本人がいちばん聞きたかったところを、マスコミはどこも報じてはくれなかった。
この現象を、私は「井伏鱒二現象」と名付けています。
この稿続く。

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