なぜハル・ノートを世界に公表しなかったのか――最大の失策
ハル・ノートは日本側の主張を全面的に退けた事実上の最終通告だった。もしこれを世界に公表していれば、日本への同情は決定的に広がっていた可能性がある。公表しなかったことは、東條内閣最大級の失策であった。
2017-06-17
以下は前章の続きである。
ハル・ノートを公開したら
しかし十一月二十六日、ハル・ノートがアメリカより提出される。
東條内閣は、ハル・ノートをアメリカ側の最終通告だったと認識していた。
ここで私が残念だったと思うのは、なぜハル・ノートを世界に向けて公表しなかったのか。
ここでは日本の言い分はすべて蹴られていた。
もし公表していたら、世界中が同情したに違いなかったと思う。
そうしなかったのは、東條内閣の最大の失敗の一つだろう。
ただ詮方なきは、ハル・ノートは乙案を飛び越して、ハルがその内容に関わっていなかったことであろう。
ハル・ノートというのは、ハリー・ホワイト米財務次官補が作成した。
彼は戦後、ソ連のスパイだったことが明らかになっている。
ソ連指導部は日本の軍事的脅威を除くため、アメリカを早急に対日参戦に促す「スノウ作戦」をすすめていたという(一九九九年十一月二十二日付産経新聞朝刊)。
ハル・ノートを見て、日本は遂に戦争がはじまるといった重苦しい雰囲気に包まれた。
ここまでの「供述書」を読めば、相手の出方によって、東條が思慮に思慮を重ねながら一歩一歩国策を選択し決定していった経緯が解るだろう。
そして、彼は開戦の決定の責任が「絶対的に」天皇にないことを明言している。
そして天皇が東京裁判にかからないことが東條の一番の願いでもあった。