「差別解消」=「皇民化」――後藤新平と台湾統治の実像
日本統治下の台湾で後藤新平が進めた衛生改革、産業育成、教育政策は、台湾社会を短期間で近代化させた。しかしそれを一方的に「悪」と断じる日本人が存在する。差別解消=皇民化という当時の国家理念を無視した戦後的歪曲を批判する。
2017-06-20
以下は前章の続きである。
「差別解消」=「皇民化」。
後藤のおかげで台湾の居住環境は著しく改善されました。
彼が衛生改善政策を成功させる前に、台湾総督となった乃木大将に同行して台湾に行ったお母さんがすぐに風土病にかかって亡くなっています。
総督のお母さんの環境でもそうなのですから、一般の人の劣悪さは言うに及ばずです。
台湾が樟脳の産地だったことについても、いかにも日本が駄目にしたような描き方をしていましたが、日本が統治する前は白人が搾取していた状況にすぎず、その状況から日本が台湾を近代工業国家にしたわけです。
また後藤は、阿片吸引の風習を徐々にやめさせ、砂糖を台湾の重要産業にすることにも成功しました。
その後藤を一方的に悪人として描く日本人がいたとは驚きです。
台湾人が日本人に差別されたという話もありました。
もちろん、当初は差別もあったでしょう。
しかし、それは時間と共に減少する性質のものでした。
日本政府の理念は「差別解消」、当時の言葉では「皇民化」だったのです。
アメリカで差別解消が立法化されてゆくのは一九七〇年代、つまり建国二百年も経ってからです。
イギリスやフランスが植民地の差別解消を理念としたことは寡聞にして知りません。
植民地化してからしばらくの間は当然、様々な混乱が起こります。
その中においても、日本は台湾をよくしようと努力しており、超スピードで最も民度が上がった地域になったと断言してもいい。
それは、先ほど挙げた柯氏の証言からも明らかです。
そもそも日本は、台湾の教育にも力を入れており、お金のかかる帝国大学を名古屋よりも先に台湾の地につくっています。
台北帝国大学です。
番組では旧制台北第一中学に入れた台湾人はたった三パーセントだということをしきりに言っていましたが、その後、その数はどんどん増えているはずです。
しかも、当時は国内の日本男子でも、十人に一人が旧制中学に行けるか行けないかという時代でした。
最初から三パーセントも入学できたことは、逆に素晴らしいことだと言えます。
台湾人の教育に日本が力を入れたおかげで、約三十年後には台湾を「蛮地」と呼んで見下していたシナ本土を、台湾人が見下すまでになりました。
鄧小平が大躍進政策、文化大革命によって、ますます貧窮化の進む中国を見、その反対に隆々と一流国の生活水準に入っていく台湾を見た時、政策を切り換えたのです。
台湾が大陸の憧憬のまとであったのです。
この稿続く。