文明のターンテーブルという発見
覇権国家が交代してきた歴史の必然を、
文明の循環という視点から捉え直す。
日本に巡ってきた文明の役割と、
それを見失わせた戦後日本の悲劇を描く。
2016-04-08
以下は私の本である「文明のターンテーブル」のp12~p15からです。
2010年7月。
前文略。
25年前、僕は、世界には、何故、覇権国家が存在するのだろうかと考え続けていました。
所用で滞在していた8日間、ローマから世界を見ていた時に気付いたことは、
世界の半分は、今も貧しい、飯すら食えない、
だから猛烈に栄える一国が必要なのだ、という事でした。
そうして例えばアフリカに、何とか、お金が流れて行く。
紀元から見れば、イタリア、ポルトガル、スペイン、フランス、イギリス、米国、そして米国・日本、
そういう流れだったのだと気付いたのです。
それが文明のターンテーブルなのだと。
25年前、米国は覇権国家になって、たった50年でくしゃみをしました。
貧しい国を大きくして行くという覇権国家の役割から必然的に生まれた多消費型経済が行き過ぎ、
財政赤字が拡大し、このままでは世界も危ない、
米国と屹立して繁栄する自由な国が必要だ、
日本しかない、
あの頃、私たちは、無階級、無思想、無宗教という人類史上初めての文明を、
作り上げていたのです。
今、僕は、こう思います。
英国から米国に覇権が移って50年、
世界の人口は倍増し、65億人になっていた。
米国一国では世界は救えない。
今でも米国は悲鳴を上げています。
欧州よ、日本よ、中国よ、内需拡大してくれ、と。
それなのに、2009年、日本の株式市場関係者は、
これからは米国離れの中国頼みだ、
などとコメントしていました。
25年前、文明のターンテーブルが日本に回ったことに気付かなかった悲劇です。
真実に気付かぬまま、愚かな正義感を振り回し、
日本の失われた20年を作ったマスコミの責任は、実に重いのです。
この稿続く。