閖上の文化と貞山運河――失われた故郷が遺した記憶
仙台藩治下、伊達政宗が掘らせた日本最長の運河・貞山運河によって、漁村閖上は独自の文化を育んできた。
東日本大震災で失われた土地の記憶と、方言・年中行事を後世に残そうとする営みを描く。
2017-07-08
仙台藩の治下では、伊達政宗が掘らせた日本最長の運河「貞山運河」を使い、城下に魚を届けた。
昨日、九州地方を襲った集中豪雨の凄まじさから、津波で喪失させられた故郷のことを書いた私の論文を読んだ友人が、昨日の日経新聞の文化欄に大きく掲載された記事は読んだかと言って、その紙面を手渡してくれた。
一瞬、何のことかと思ったが、不思議なことに、そこには私の故郷である閖上の記事が掲載されていた。
宮城県名取市の閖上地区は、江戸時代以前より漁村として栄えてきた。
仙台藩の治下では貞山運河を通じて魚が城下に運ばれ、直轄港として独特の文化が育まれた。
しかし、その歴史ある地区は、2011年の東日本大震災で発生した津波により流され、街そのものが失われてしまった。
私は、閖上地区で継承されてきた文化や風習を後世に残そうと活動している人の言葉を読みながら、胸を衝かれた。
1939年生まれの筆者は、人生の大半をこの地と共に過ごし、幼少期には先祖や自然に感謝する年中行事が息づいていたという。
漁村でありながら農村でもあるこの地域では、漁師の合理的で短い言葉と、農民の丁寧な言葉が混在していた。
震災によって、これらの風習や方言が完全に断絶してしまうことへの危機感から、年中行事や言葉を記録した本を自費出版したという。
一月十五日の「暁詣り・松送り」、そして子どもたちが家々を巡って唱えた「ちゃせごに来ました」という言葉。
その一文を読んだ瞬間、私の脳裏にも、かつての光景が朧げながら蘇ってきた。