加計問題の本質 ― 証拠主義を無視した政治とメディアの騒動

国家戦略特区をめぐる加計学園問題は、岩盤規制突破を巡る政策論ではなく、証拠主義を欠いた政治と一部メディアによる騒動へと歪められた。その本質を整理する。

2017-07-13

以下は前章の続きである。

加計問題の本質。

国家戦略特区は、安倍内閣になってつくられた新しい仕組みだ。

既得権益者と族議員、官僚が頑強に固執する岩盤規制を、総理官邸主導で突破するためのものである。

これに対し、一部野党とメディアが執拗な批判を展開した。

批判の第一段階は、総理と個人的に親しい加計学園が事業者として認可されたことを問題視するものだった。

そこに出所不明の文書を持ち出し、総理の意向で、特区を担当する内閣府から認可する立場の文部科学省に圧力がかかった、という批判が行なわれた。

一部のメディアが、騒ぎを煽る立場でこれに加担した。

しかし、さすがにこれは稚拙な批判である。

その後、この文書が真実かどうかをめぐって文部科学省の元次官が登場するなど、泥仕合のようなドタバタが続いた。

調査の結果、一部確認されたものもあるようだが、仮にそのような文書が存在したとしても、それ自体が批判の対象になるものではない。

批判する側は何かにつけ「総理の意向」があったことを問題視した。

しかし、岩盤規制を突破することは内閣の基本方針であり、総理自身が国会などで繰り返し明言してきたことである。

そして誰の目にも、獣医学部問題が岩盤規制の典型であることは明らかだ。

したがって、特区を担当する内閣府が、反対し抵抗する役所と激しいバトルを展開するのは、きわめて当然の話である。

改革とは、常にそうしたバトルの連続なのである。

政策を真面目に議論する姿勢に立てば、総理の友人だから優遇することもなければ、友人だから冷遇することもない。

重要なのは、こうした一連の批判が、議論の進め方に関する基本ルールに反している点である。

成熟した市民社会が積み上げてきたルールとして、「証拠主義」の考え方は極めて重要だ。

司法の場では証拠裁判主義とも呼ばれ、他人を批判し責任を問う以上、確かな証拠に基づくことが求められる。

しかし、加計をめぐる議論は、当初から証拠主義を無視した形で始まったのである。

この稿続く。

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