「全く存じ上げない」──石破茂が否定した獣医学部新設と政界工作の実相

新潟市の獣医学部新設申請と「石破4条件」をめぐり、石破茂は産経新聞の取材に対し全面否定で応じた。獣医師会の政界工作、申請却下の経緯、そして発言の変遷を整理する。

2017-07-18

一方、石破は産経新聞の取材に文書で回答し、新潟市の獣医学部新設申請について「全く存じ上げない」と述べた。
獣医師会からの四条件盛り込み要請についても「そのような要請はなかった」。
平成二十七年九月九日の発言についても「そのような事実はなかった」と、いずれも全面否定した。
約三十五年前、朝日新聞が従軍慰安婦と朝鮮半島人強制連行の話を作り上げ、日本国内と世界に向けて三十二年間、十六回もの大特集を張る捏造報道を行う以前であれば、産経新聞にも、取材もせず予断で記事を書く記者がいたかもしれない。
だが、今の産経新聞は、約三十五年前までの産経新聞とは全く違う。
今や日本で唯一、事実をきちんと検証して報道する、まともな新聞であると、誰もが確信するだろう。
以下は前章の続きである。
政界工作絶え間なく。
実は、日本獣医師政治連盟委員長の北村直人には成功体験があった。
平成二十六年七月、新潟市が国家戦略特区に獣医学部新設を申請した際、北村は「獣医学部を新設し経済効果が出るには十年かかる。特区は二、三年で効果が出なければ意味がない」と石破茂を説き伏せた。
同年九月に地方創生担当相に就任した石破も「特区にはなじまないよな」と同調し、新潟市の申請はほどなく却下された。
愛媛県今治市の案件も、四条件の設定によって宙に浮いたかに見えた。
再び動きが急加速したのは、平成二十八年八月の内閣改造で、地方創生担当相が石破から山本幸三に代わった後だった。
獣医学部は、昭和四十一年に北里大学が創設して以降、半世紀もの間、新設されなかった。
定員も昭和五十四年から九百三十人のまま変わっていない。
この異様な硬直性の背景には、獣医師会の絶え間ない政界工作があった。
「石破四条件」もその成果の一つである。
石破の父、二朗は元内務官僚で鳥取県知事を務め、鳥取大学の獣医学科設置に尽力した人物として知られる。
その息子が獣医学部新設阻止に動いたとすれば、皮肉な話だ。
石破は、加計学園の獣医学部新設について、「四条件が証明されればやればよい。されなければやってはいけない。非常に単純なことだ」と繰り返し語ってきた。
ところが「石破四条件」と呼ばれるようになると、「私が勝手に作ったものではない。内閣として閣議決定した」と、内閣に責任をなすりつけるようになった。
敬称略。
いずれも肩書は当時。

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