「虐殺」の虚構――シンガポールで何が起きたのか

戦時下シンガポールをめぐる「虐殺」言説を検証する。華僑の行動、便衣隊の実態、戦時法の原則、そして戦後に形成された被害者物語の矛盾を示し、語られてきた主張に含まれる虚偽の多さを指摘する。

2016-04-28

以下は前章の続きである。
わずかにシンガポールで日本軍は華僑を殺した。
華僑のリー・クワンユーがそう言い立てるが、彼自身が認めるように、日本軍がマレーに上陸すると、華僑は白人のご主人様である英国について戦った。
インド兵などと同じだ。
しかし、英軍が負けると、華僑の一部はタイに逃げ、残りは兵装を解いて無辜の市民を装った。
いわゆる便衣隊だ。
逃亡兵よりあくどい。
狩り出されて処刑されるのは、戦時法では当たり前だ。
日本軍は、しかし、全員は殺さなかった。
リー・クワンユーはじめ、多くを見逃してやった。
結果的に、それが仇になった。
彼らは戦後、被害者面し、あることないこと吹聴して、マレー人の海に浮かぶ島であるシンガポールに居座り、支那人の素性を隠し、マレー語の国歌を歌い、キリスト教とイスラム教の祭日を休日として、「ンンガポーリアン」を名乗る。
虐殺を言い立てる彼らの言葉には、あまりにも嘘が多い。
この稿続く。

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