「中国の旅」が生んだ名誉毀損――抗議を黙殺した朝日新聞の責任
産経新聞の検証記事をもとに、『中国の旅』で実名を挙げられた人々の名誉がどのように傷つけられたのか、抗議や反論を軽視してきた朝日新聞の責任を明らかにする。
2016-05-04
以下は今日の産経新聞三ページからである。
昭和史を研究してきた田辺敏雄は、
「中国の旅」を執筆した元朝日新聞記者、本多勝一と、
その連載記事を単行本、文庫本として刊行した朝日新聞社に、
憤る一人である。
「朝日新聞は数多くあったはずの抗議や反論を軽んじ、
『中国の旅』に実名で書かれた人々の名誉を傷つけ、
日本人に大虐殺のぬれぎぬを着せた」。
田辺がここで言う「大虐殺」とは南京事件のことではない。
本多が連載の前半で大きく取り上げた「万人坑」のことである。
本多は昭和四十六年六月下旬から七月はじめにかけて、
中国東北地方で取材した内容を、
四部構成の連載の前半で報告した。
「万人坑」は第二部のタイトルである。
「万人坑とは、
虐殺された中国人の死体を集めて、
何千人、あるいは万単位で埋めた、
巨大な『ヒト捨て場』である」。
「中国の、とくに東北地方には、
鉱山や大工事現場に、
必ず万人坑ができました。
何千人、何万人という中国人の死体の丘です」。
戦時中、旧満州の日本企業の鉱山や大規模工事現場では、
過酷な労働で使い殺された中国人労働者の遺体や、
消耗して動けなくなった労働者を、
生きたまま万単位で埋める、
「ヒト捨て場」が必ずあり、
それが万人坑だと本多は伝えた。
連載では、
南満州鉄道株式会社が経営していた撫順炭坑と、
南満州鉱業株式会社のマグネサイト鉱山が取り上げられた。
万人坑は撫順に三十カ所以上、
大石橋には三カ所と報告されている。
本多はこう解説する。
「仮に一日平均二十人が消耗されるとしよう。
百日で二千人、
一年間で七千三百人に達する。
『万人坑』という言葉のように、
ひとつの万人坑を一万人とすれば、
この大石橋にある三つの万人坑ができるまでに、
ほぼ四年あればよい」。
大石橋の万人坑の一つ、虎石溝万人坑。
現地で「階級闘争を決して忘れるな」と書かれた入口を通り、
白骨死体の厚い層を見た本多は、
感想をこう記した。
「私はまだ、
ナチがやったアウシュビッツ殺人工場の現場を見たことはない。
だからこの万人坑のような恐ろしい光景は、
生涯で初めてだった」。
白骨死体の写真も朝日の紙面に掲載された。
万人坑に強い疑問を抱いた田辺は、
調査を始めた。
この稿続く。