「謝罪と賠償」で道徳的優位に立つという発想は日本になじまない

原爆投下をめぐる米国内世論と謝罪論を踏まえつつ、日本が取るべき態度とは何かを論じる。相手国に謝罪や賠償を突きつけて道徳的優位に立とうとする流儀は、日本の歴史観やプライドとは相容れないことを、国際的な証言とともに示す。

2016-05-13

以下は前章の続きである。

◎「歴史とプライド」

現在、米国では、原爆投下を正当化する世論が根強いとされている。
しかし、その意識の奥底には、自国の負の歴史として刻まれている部分があるのだろう。

米国内でも、謝罪の要不要をめぐって、意見は分かれているようである。

実際には、日本政府は当初から、
「米国による謝罪は、百パーセントあり得ない」
と、高官レベルで見切っていた。

ただし、いずれにしろ、オバマ氏を受け入れる側である、わが国から、謝罪や賠償を求める必要はない。

それは、あくまで、米国側が考え、決めるべきことだからである。

相手国に、謝罪や賠償を突きつけることで、道徳的に優位に立とうとするような流儀は、日本にはなじまない。

二十年前の平成八年、インドネシアで、現地の慰安婦問題を取材した際、
英字紙「インドネシア・タイムズ」の、ジャマル・アリ会長(当時八十三歳)が、こんな言葉を語っていたことを思い出す。

「われわれには、韓国とも、中国とも違う、歴史とプライドがある。
『金をくれ』などとは、三百六十年間、わが国を支配したオランダに対してすら、要求しない」

この稿、続

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