御所と離宮が解いた洗脳――京都で知った天皇と日本の真実
京都御所・仙洞御所・桂離宮・修学院離宮を四季折々に訪れる中で、朝日新聞的歴史観による天皇認識が霧散していく過程を描く。京都の庭と佇まいが、日本統治の本質と天皇の真実を一瞬で示した体験を記した記録。
2016-05-16
朝日新聞の購読者の多くは、
天皇に対して、批判的な考えを持たされる。
私も、そうであった。
つまり、天皇に対する認識について言えば、
朝日新聞の論説委員たちの、歪んだ思想に、洗脳されるのである。
欧米の植民地主義が、
二十世紀を、戦争の世紀としたことは、
疑う余地のない、歴史的事実である。
第一次世界大戦。
そして、その第一次世界大戦が原因となった、第二次世界大戦。
ところが、朝日新聞の購読者は、
第二次世界大戦の原因は、
天皇制にあったかのように、思い込まされてきた。
洗脳されてきたのである。
約十年前、私は、三度目の「京都発見」をした。
京都の紅葉の美しさが、その発見を促した。
さらに、枳殻邸の横を通った時、
タクシーの運転手が、こう言った。
御所の庭に比べれば、他の庭は、比べることもできない、と。
それは、そうだろう、と、私は思った。
それが契機となり、
私は、敬して遠ざけていた、桂離宮、修学院に行こうと、決意した。
それまでは、
葉書で申し込むのが面倒だと思い、行かなかった。
何しろ、ハワイを四十七回も訪れていた頃の私は、
常に、旅は風任せだったのだから。
だが、朝日新聞の購読者であったがゆえに、
否応なく持たされていた、
天皇に対する批判的な感情も、
そうさせていたはずである。
運転手は、
京都御所内の事務所に行くのが一番良い、
知人に、パスポートを持っている外国人がいれば、
当日でも参観でき、
いなければ、翌日でも参観できる、
と、教えてくれた。
私は、御所には頻繁に訪れており、
事務所の場所も、よく知っていた。
それなら、近いうちに行ってみようと、考えたのである。
京都御所の庭。
仙洞御所の庭。
桂離宮。
修学院離宮。
それぞれを、四季折々に訪れた。
その過程で、
愚かで歪んだ、朝日新聞の論説に影響されていた観点、
東京一極に集中し、
歪んだ頭脳で世界を見ている、
朝日新聞に洗脳されていた観点は、
霧散した。
極端に言えば、
一瞬で、霧散した、と言った方がよい。
梅田から、阪急特急に乗り、桂駅に着いた。
参観時間が迫っていたため、タクシーで向かった。
タクシーを降りた瞬間、
朝日によって洗脳されていた、馬鹿な観念が、霧散した。
桂離宮の門をくぐる前から、
いや、一般道路に面した入口に立った時点で、
東京という、昨日のニューヨークにすぎない場所で、
歪んだ、幼稚で、悪辣な思想を振り回している、
朝日新聞の論説委員たちの、醜悪さとは、
無縁の佇まいが、すでに漂っていたのである。
私は、
何という長い年月を、無駄にしてきたのだろうか、
と、瞬時に思った。
真実は、ここにこそあって、
東京などには、ない。
日本と、日本人の素晴らしさの根本には、
このような佇まいがあり、
天皇の存在の真実が、あったのだと、知ったのである。
国を統治するとは、どういうことなのか。
桂離宮の佇まいは、
御所の建築物は、
御所の庭は、
戦後の世界が生んだ天才の一人である私に、
それを、一瞬で、教えてくれた。
だからこそ、私は、
天皇は、京都に住み、
日本の大スターとして、存在すべきである、
という論を書いたのである。
それは、不思議なことに、
梅棹忠夫の論説と、
全く同じであったと言っても、過言ではない。
これらの庭を、
日本国民であれ、外国人であれ、参観している最中に、
不意に、天皇、あるいは皇族が姿を現す。
何の濁りもない。
何の拘りもない。
掛け値なしの、歓声が上がる。
私は、そんな光景を、はっきりと思い描いた。
私が夢想したことと、
梅棹忠夫が論じたことは、
まったく同一である。
この稿、続く。