中国歴代王朝の残虐性――絶対権力が生み出した暴君の系譜

中国史における専制と暴虐は共産党政権に始まるものではない。秦の始皇帝以来の皇帝専制体制の下、官僚や庶民の命と尊厳が恣意的に奪われてきた歴史を、石平氏の論考をもとに具体例で描き出す。

2017-07-27

中国の歴史において、絶対権力者による横暴は、なにも共産党政権から始まったものではありません。
以下は石平さんの本物の論文、本当の労作の続きである。

中国歴代王朝の残虐性

中国の歴史において、絶対権力者による横暴は、なにも共産党政権から始まったものではありません。
歴代王朝をみれば、横暴や殺戮癖を体質とする政権や暴君を、実に多く輩出しています。
秦の始皇帝以来の皇帝専制システムというものが厳然と継承され、政治権力が皇帝に集中して、皇帝は天下の主という絶対者となりました。
天下万民は「皇帝の所有物」ということです。
所有物であれば、皇帝の一存で庶民から大臣まで命を奪うことなどたやすいことです。

中国歴代王朝の暴君の所業をみれば、まず官僚たちが殺される。
それも理由などありません。
法律も裁判もない。
それどころか、殺されることを皇帝に謝恩しなければならない。

極端な例を紹介すれば、明王朝の時代、大臣は毎朝、朝廷に入場する。
そして朝会(朝廷の会議)で大臣、官僚たちは皇帝のもとに集まります。
その大臣は、毎朝自分の家族に別れを告げるのがしきたりになっていました。
どうしてか。
勤めを無事に終えて帰ってくるかどうかわからないからです。
死体で帰ってくるかもしれない。

というのは、御前会議で皇帝の逆鱗に触れるようなことがあったら、大臣といえどもその場でズボンを脱がされて、尻を叩かれるのです。
人権どころではない。
名誉も誇りも、時には命さえも、すべてが奪われるのです。
しかも、どれほど叩くかは皇帝がその場で決めるのです。
場合によって百回も叩かれ、叩き殺されるケースも少なくありませんでした。

廷杖という言葉があります。
棒で人を叩くことです。
つまり、朝廷の御前会議において棒で叩き殺されるまで殴られる、ということです。
それも理由はなく、皇帝の気分次第なのです。
もちろん裁判などというものはなく、その場ですぐ執行される。
科挙試験に合格して大臣になった人物でも、皇帝の一存でその場で殺されることがあります。
そのような世界の庶民たちに、人権などあるわけがないでしょう。

この稿続く。

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