人間は革命の部品――生まれつきの権利を否定した社会の実相
中国共産党政権下で行われた大規模な処刑と弾圧の実態を、石平氏の論考を通じて描く。人間を「革命の部品」とみなす思想の下、生まれつきの権利という概念すら否定された社会の恐怖と異常を、具体的な史実と体験の記憶から明らかにする。
2017-07-27
人間に生まれつきの「権利」というものは誰も認めないし、認められない。
そもそも、
以下は石平さんの本物の論文、本当の労作の続きである。
そのわずか二ヵ月後、同じ手法で421名の「反革命分子」が銃殺され、584名が無期懲役を含めた懲役刑に処されます。
9月6日には318名の大量処刑が行われました。
このような惨劇が中国全土で繰り広げられたのです。
人間は革命の部品
『中国共産党執政40年(1949~1989)』に、中国政府によるこの大量殺戮の公式発表の数字が記載されています。
「鎮圧反革命分子運動」で銃殺された人数は71万人に上るといいます。
中国政府は輝かしい成果として、誇らしげにこの数字を発表していますが、正気の沙汰ではない。
私たちの常識を超えた、恥ずべき世紀の大虐殺です。
「反革命分子」と称される「匪賊」とは「武装をして山奥や密林に隠れた拠点を持ち、継続的な略奪活動を行う者」という意味ですが、群衆からの告発で一夜にして簡単に逮捕される「匪賊」などいるでしょうか。
また、「スパイ」という容疑者も、一般民衆による告発によって逮捕されている。
一般人にやすやすと見破られる本物の「スパイ」などいるでしょうか。
少し常識を働かせればみな大嘘であることがわかります。
「反動的党派・団体の主要幹部」や「反動的セクト組織のリーダー」という罪名もあいまいです。
すでに蒋介石率いる国民党軍は台湾に逃げています。
わざわざ中国本土に「反革命分子」が何十万人も居残っていたとは考えられません。
この鎮圧運動で「反革命分子」とされ処刑された大多数は、無実の人々だったと考えるのが自然でしょう。
彼らはわけもわからないまま逮捕され、「裁判」という名の儀式を経てすぐに銃殺された。
これは虐殺以外の何物でもないでしょう。
これらの記録を改めて読んでみても戦慄を覚えますが、同時に私か中国にいた幼少時代に見聞したことの記憶をたどれば、「革命という大義」において人が殺されるのはごく普通のことでした。
四川省成都市に住んでいた中学生のころ、祝日の前になると、市内の街角のあちこちに死刑宣告の「布告」が張り出されていたことを覚えています。
今にして思えば、異常な光景でした。
人間は異常な状況にも慣れるということがあるのでしょうか。
当時、中国の人民ができることは、ひたすら恐れることだけでした。
誰でもいとも簡単に、何の理由もなく殺される時代です。
だから人間一人一人が生きる権利を持つ、というような意識は生じません。
個人はすべて共産党政権が統治した社会の中の「一道具」、あるいは「一つの部品」に過ぎないという意識にさせられていました。
共産党の機関紙である人民日報には、「われわれは革命という巨大なる機械の部品になるべきだ」とのスローガンが堂々と掲載されていました。
人間に生まれつきの「権利」というものは誰も認めないし、認められない。
そもそも、その意識すら誰も持たない社会だったのです。
「個人の生活」が許されない社会とはどういうものか想像つくでしょうか。
子どもを産むのは革命の次世代をつくるため。
食事をするのも革命を成し遂げるため……。
要するに人間を豚以上とは思っていない。
豚にエサを与えることは、豚のためではない。
豚を食べるもののためである、ということです。
「人民はすべて豚だ」という毛沢東の思想が現実化していたのです。
恐ろしいことですが、誰も逆らうことはできない。
批判どころか議論すらも許されない社会でした。
この稿続く。