「李承晩ライン」以降韓国が不法占拠を続けていた竹島(独島)をめぐる漁業権の問題
日韓会談(1951年〜1965年)の交渉過程を軸に、李承晩ライン宣言、竹島(独島)をめぐる漁業権問題、戦後補償・在留資格・歴史認識などの主要争点を整理し、冷戦下での安全保障と米国の関与が合意に至った背景を示す。
◎ 「李承晩ライン」以降韓国が不法占拠を続けていた竹島(独島)をめぐる漁業権の問題
2016-06-08
以下は前章の続きである。
題字以外の文中強調は私。
日韓会談
昭和26年(1951年)10月20日の交渉から1965年の日韓基本条約締結までの会談を日韓会談、日韓国交正常化交渉という。
交渉では、日韓併合により消滅していた国家間の外交交渉の回復方式、「李承晩ライン」以降韓国が不法占拠を続けていた竹島(独島)をめぐる漁業権の問題、戦後補償(賠償)の問題、日本在留の韓国人の在留資格問題や北朝鮮への帰国支援事業の問題、歴史認識問題、 文化財返還問題など多くの問題を含んでおり、独立運動家として日本を敵視し続けていた李大統領の対日姿勢もあり予備交渉の段階から紛糾した。
しかし、最終的には冷戦での安全保障、アメリカの希望もあり、合意にいたった。
韓国は当時「戦場国家」であり、日本は「基地国家」であった。
会談直前
予備会談
1952年1月9日、日韓会談直前の予備会談で日本側から「日韓の雰囲気をよくするため」の文化財返還が提示された。
李承晩ライン
「李承晩ライン」を参照
李承晩は対話の前提として、まず日本の謝罪、「過去の過ちに対する悔恨」を日本側が誠実に表明することが必要であり、そうすることで韓国の主張する請求権問題の解決にうつることができるとした。
しかし、日本側は逆に日本も韓国に対して請求権を要求できるとのべ、反発した李承晩は報復として、日韓会談直前の1952年(昭和27年)1月18日、韓国は一方的に日本海に軍事境界線の李承晩ラインを宣言する強硬政策に出た。
この稿続く。