金では測れない生き方。
ローマで暮らす親友一家を救うため、規制と制度の壁を越えて奔走した実業家としての決断。
金銭ではなく、友情と文化、そして生き方そのものを基準にしてきた人生の核心が語られる。
2016-08-12
当時の弊社は、その金額は、何の問題もなく、銀行から融資を受けることが出来たから、私は、銀行の担当に連絡して、大至急、日銀の大阪支店から、ローマに振り込んでもらうように手配した。
その担当から日銀の窓口で止まっている…2,000万円以上の送金は、大蔵大臣の認可が必要だから…私は直ぐに大阪支店に向かった。
何故なら、振り込むことが出来なければ、ローマで暮らしている私の親友の家族4人は、路頭に迷うことになるからである。
私の、「日本とイタリアの文化交流の為だと思って何とかならないか」などの、私の発言を聞いていた、窓口の向こうに座っていた、見るからに東大出の風貌をした女性が寄って来た…元々、私たちと同じレベルの人間でもあったからだろう。
「一つだけ方法があります。ローマに支店を作ってくれますか?」
支店を作るも何も、ホテル「エデン」の真ん前に在った見事な邸宅について、イタリアでは幾らの価格に成るかを聞いた私が、当時の日本の大阪や東京の価格に比べてはるかに安かった事に驚いた時に、彼との間で交わされた会話が発端だったことを話した。
「もし、こういう案件が出たら購入するか」「もちろん、ローマ支店として購入しよう」、「物件が出たからと言うので、ローマに行ったが、地形がダメだった。そんなことを繰り返しているうちに、当該の案件が現れた。それを観た彼の家族は、全員が気に入った。それで契約した、という経緯なのだから、弊社の支店を、そこに開設します」
それで彼の家族4人は路頭に迷わずに済んだのである。
総量規制がもたらした「日本の失われた20年」が、不動産業界には、特に、甚だしく、
苦しめられ続け、弊社の財政状況も風雲急を告げ出した、5、6年後に至るまで、私は、彼に1円の金利も、支払いも請求することはなかった。
クラスメートにして親友だったから?
もちろん、それが一番大きな因子であるが、読者はご存知のとおり、私は、お金のために生きて来た人間ではないのである。
元々、京都大学を背負って立てと言われた人間であり、同級生には、いずれ日本の文壇に大きな足跡を残すのだろうと思われていたような人間だったからである。
この稿続く。