昨日と言うことが違う――「善」を装う言葉が生む悪の構造

地球温暖化反対から原発反対へと、主張を無反省に切り替える言論の軽さこそが「悪」の温床である。思想の一貫性を欠いた言葉が社会にもたらす害を鋭く突く論考。

2016-08-27
以下は2012-05-06に発表した論文である。

昨日は、こう云い、今日に成ったら、こう云う…こう云う事も又、「悪」、の温床なのだ。と

今、単純に…日本と世界、世界と相渡るとは、どんなことか等、考えた事もなく、きっと自分の事だけは、考えている人達が多いのだと思うが…原発反対の声を挙げている人たちは、つい昨日は、地球温暖化反対、炭素ガス排出規制賛成、と、言っていた人達が大半なのだろうな、と、私は確信する。

同時に、私は、テレビキャスターやマスコミの論説委員たちに言いたいのである。

昨日は、こう云い、今日に成ったら、こう云う…こう云う事も又、「悪」、の温床なのだ。と

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