社説を奪われた日――東京新聞社内で起きた異論封じの実態
2014年秋、論説副主幹だった筆者は社説原稿を無断で改変されたことを契機に、社説執筆を事実上禁じられた。オーナーの判断すら拒絶された東京新聞社内での異論封じと、言論の自由が形骸化していく過程を克明に記す。
2017-08-02
以下は前章の続きである。
東京新聞社内の異論封じ
私が社説を書かせてもらえなくなった経緯についても、書いておこう。
それは、私が論説副主幹だった2014年秋のことだ。
私は、政治主導をめぐる問題で大型社説の原稿を書いた。
論説主幹が最終的に原稿をチェックするので、私は「手直しするなら、必ず事前に連絡してほしい」と念を押しておいた。
ところが当時の論説主幹は私に連絡せず、勝手に修正してしまった。
原稿の末尾で野党をやんわり批判した部分が気に入らなかったからだ。
そこで私と少し言い争いになったが、その場で私は「もう君には社説を書かせない」と通告された。
私は考えた末、中日新聞社(東京新聞の発行元)のオーナーである大島宏彦最高顧問に相談した。
私はかねて大島氏から、「会社で何かあったら、僕に言いなさい」と言われていた。
実際に相談したのは、後にも先にもこのときだけである。
すると大島氏は、「そういうことなら、君と他の論説委員が順番に交代で書けばいい。君は君の言いたいことを書き、他の人も言いたいことを書けばいい」と言ってくれた。
私はオーナーの言葉をそのまま論説主幹に伝えたが、「いくら最高顧問だって、それはオレが絶対に許さない」と断言した。
ヒラ取締役の論説主幹が、会社のオーナーの方針に公然と背いたのである。
私は唖然としたが、それ以上、言い争うことはしなかった。
現場で言い争っても無駄と思ったからだ。
その代わりと言ってはなんだが、以後、私は毎日昼に開かれる論説会議には出席しなくなった。
私の意見は採用せず、社説も書かせないというのであれば、会議に出ても意味がないからだ。
会社は、私を処分しようと思えばできないことはなかったはずだ。
何せ出社しないのだから。
それでも私を放任してきたのは、やはり私を擁護するオーナーの存在があったからだろう。
暗黙の了解で、私の存在を認めざるをえなかったのだ。
オーナーが言った「意見が違っても、順番で書けばいい」というのは、まさに言論の自由の本質にかかわっている。
多様な意見を載せることこそが言論、報道の自由を守ることなのだ。
私は本当に偉いオーナーだと思う。
だが、事態は変わらなかった。
この稿続く。