私財を投じて大阪に放った一篇の論文――中国史の虚妄と「順風」の思想
2004年2月26日、私財を投じて大阪府下の日経新聞購読世帯すべてに折り込み配布した論文は、大阪の政治と経済に強烈な衝撃を与えた。その思想的背景と、中国史四千年という虚構を学問的に否定した楊海英『逆転の大中国史』との共鳴を辿る。
2016-09-12
私が言わば当時の私財を投げうって、2004年2月26日に、大阪府下の日経新聞を購読している全世帯に、私が人生の舞台として選択した大阪を総括するために折り込み広告の形で提言した論文は、大阪中の政治家や経営者たちの心に、これ以上ない衝撃を与えた。
私がこの論文が大阪維新の会の発足を促したと考えていることはご存知のとおり。
その時に書き、ここでも何度か言及してきた、中国3千年、4千年というのは中華料理にはあるかもしれないが正しい認識ではないと指摘してきた事を、ニューズウィーク誌の定期寄稿者でもある筆者が学者として実証している本を出版した。
最近は新聞の書評を精読することは皆無に近い。
特に朝日の書評は読む気になれない。
理由は言うまでもなかろう。
だが昨日、親友が、日経新聞の書評欄に掲載されていた書評で筆者と梅棹忠夫とのやりとりが書いてある箇所を指示してくれた。
まずは、私の論文を御紹介する。
「From大阪to Osaka」
前文略
年末、偶然観たチャン・ツウイーの異様なまでの美しさ。
才能的には中国の大竹しのぶ、顔は後藤久美子。
彼女は一瞬の中にしか美はない、とも言う。
彼女の発する言葉の数々も異様なほどに美しく、異様なほどに迸るものだった。
その強烈な刺激の翌朝、気が付いた。
彼女は「新しい人」であることに。
ささくれ立った荒野の中に新しい人が生まれた。
だから異様なほどに美しい。
彼女の踊りの中に伝統はあるじゃないかって?
そういう間違いが全てを見失う。
あれは、伝統なんぞはこっぱみじんに打ち砕いた共産主義が生み出した踊りの結果であって、伝統ではない。
中国人の血は流れているという程度のものだろう。
異民族にあるいは先進国に支配され歴史が寸断されてきた中国人の気性は、一帆順風(順風が吹いて来た時は帆を最大に張りなさい)だから、頭と胴体が分裂した面妖な形でも突っ走れる。
連綿とした同一民族の歴史の中で我が国は順風満帆と書き換えた。
十五年も掛かってやっと大阪に順風が吹いて来た。
後略
「逆転の大中国史」 楊海英著
刺激的な本だ。
著者は内モンゴルのオルドスの出身で、日本に帰化した学者である。
本書には、故郷の現状や祖先に対する著者の熱い思いがみちている。
著者の見解では「中国四千年の歴史」も「中華」も実は虚妄だ。
ユーラシアの中心をなす草原地帯・沙漠地帯に住む遊牧騎馬民族は、古来、スキタイも匈奴も鮮卑もモンゴルもマンシュ(満洲)も、人種や出自にこだわらない開放的な価値観を有してきた。
遊牧文明の視点から見ると「中国文明」はローカルな地域文明にすぎない。
事実、漢民族の「中華思想」の狭小な視野からは、世界の人々を引きつける魅力ある世界システムの構想も、斬新な学説も生まれたためしがない。
歴史上「中国」がさかえたのは、異民族による国際主義で統治された時代だった。
鮮卑系の唐も、モンゴル帝国の一部であった元も、満洲人とモンゴル人が統治した清も、他の民族や宗教に寛容で、豊かな文化が花開いた。
残念ながら、現在の中国は実質的には偏狭な漢民族中心主義だ。
漢字文化に親しみすぎた日本人も、中国目線でしか歴史を見ない。-そんな過激とも思える主張を、著者は、先学の言説や考古学の成果を引用しつつ展開する。
著者自身の体験も興味深い。
中国人や日本人が「万里の長城」と立派な名称で呼ぶ遺構を、モンゴル人は「白い土塀」と呼ぶ。
著者は5、6歳のころ、実家の近くの長城に行ってみた。
著者の馬は軽々と長城を超えた。
童話「裸の王様」のような象徴的な挿話だ。
後略。