復興に欠かせない「心」――閖上の記憶と政教分離主義の再考

東日本大震災で壊滅的被害を受けた宮城県名取市閖上の体験から、復興における「心」の重要性を考察する。
神社や寺院が地域共同体の精神的中核である現実を踏まえ、政教分離主義の硬直的運用が心の復興を妨げている問題を、小堀桂一郎の論考を通じて検証する。

2016-09-20

私の故郷が、名取市閖上である事。
2011年3月11日の、千年に一度と言われた大地震と、その後に襲った大津波によって、市街地が壊滅的な打撃を受けた町である事も、読者はご存知のとおりである。
昨年、閖上小中学校の同級生たちが、長年不出席を続けていた私に会いたいと言っていると、妹が連絡を寄越してきた。
久方ぶりにもかかわらず、私を迎えてくれた閖上の人々の心根の優しさに、私は心から打たれた。
当たり前の日本人は、人を騙す事も、人の物を盗む事も、考えもせずに生きている。
本当に素晴らしい人々である。
その記憶は、今も私の心にそのまま在り、永遠に在り続けるものである。
その思索の過程で私は、「戦後七十年、国際社会において日本を政治的な囚人として置き続けてきたのは誰か」という、「文明のターンテーブル」に連なる、ノーベル賞に値する着想を得た。
それが、閖上の人々と、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの作品である《アンジェラ》のおかげだった事も、既に述べたとおりである。
東京や大阪のような人工的な大都市を除き、日本各地で育った人々にとって、家の墓が在る寺は、皮膚感覚のように身近な存在だったはずだ。
夜中に寺で肝試しをした記憶を、多くの日本人が共有しているだろう。
私の場合、寺は特に身近だった。
学校から家への行き帰りに寺を通った者も多いはずである。
さらに、私の親しい同級生は寺の息子だった。
彼は後に投手として活躍し、兄は華麗な守備で県下に名を馳せた兄弟だった。
その彼が心筋梗塞で倒れ、一命を取り留めたと聞かされた時の思いも、今に続いている。
私たちは皆、心に穴が開いたような感覚を抱えている。
理由は人それぞれだが、共通点の一つに、家の墓を失った事があると、私は確信している。
先般、学者の多くは専門バカだと言ってもよい、という霊長類研究の泰斗の論文を紹介した。
だが昨日の産経新聞には、その対極に立つ、本物の学者の論文が掲載されていた。
それが、「心の復興を妨げる政教分離主義」と題された、小堀桂一郎氏の論考である。
以下はその一部である。
災害からの復興という事業には、「物」と共に「心」の大切さを、決して忘れてはならない。

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