ネットに現れずに生きる幸福— 曽野綾子が書いた「作家としての自由」 —
月刊誌VOICE10月号に掲載された曽野綾子の連載コラムを手がかりに、
ネットに登場せずとも成立する言論の幸福と、
ネット社会における悪意と暴力の現実を対比する論考。
作家として名声を得た者の自由と、
後半生でやむなくネットに現れた者の過酷な現実を浮き彫りにする。
2016-10-01
月刊誌VOICE(780円)の10月号で、曽野綾子女史の連載コラムを読んだ時、私は、彼女は例えば私の状況を彼女が知っていて、この論文を書いたのではないかとさえ思った。
彼女はネットに登場する必要は全くなかった。
言論の世界で作家として有名人になった女性である。
その事の幸福を彼女は簡潔に書いていた。
つまり、日本のため、世界のために、私は、読者はよくご存じの事情で、自分の人生の後半生に仕方なくネットに登場した。
その結果、人口の2%として、この世に存在している悪に狙われて、信じがたい目に遭った。
「底知れぬ悪」「まことしやかな嘘」の悪の国の執拗さは、11月号のWiLLを購読した人は皆、再認識したはずである。
(この事については後述する)。
私が今なお、悪の攻撃を受け続けている事もご存知のとおりである。
文中強調は私。
前文略。
私には関係ないことだが、十五日無料対話アプリを提供するLINEが株式を日米で同時に上場した。
世界には今、二億一千八百万人の利用者がいるというが、今に「当時はそれっぽっちだったの?」というようになるだろう。
私の人生の後半生で成功したことの一つは、こうしたLINEに全く触れなかったことだ。
それでも済んだ、というのが正しかろう。
何よりよかったのは、その時間を私はもっと別の有益なことに使えたからだ。
何より人に会えた。
家族のためにも働けた。
後略。
この稿続く。