補注|なりすましとしての「上品」— 眺望から超越へ
前章に対する補注として、筆者が本上まなみに抱いてきた違和感の正体を明かす。
京都という空間への「なりすまし」、偽りの上品さ、そして高市首相を貶めた瞬間に露呈した下品さ。
それらを見抜いた結果として到達した「超越」について記す。
以下は前章に対する補注である。
私が、**本上まなみに感じていた妙な感じについて。
彼女は役者でもある。
「なりすまし」は彼らの常態。
私は京都に住んでいない人間としては、世界一、京都を訪れている人間である。
だからこそ、感じたのだろう。
京都に、なりすまされている。と
本上は、今回、最高にして、真の、「上品」である高市早苗**首相を、「下品」の極みであるTV放送局の番組に出演(結構な出演料でもあるのだろう)して、高市首相を腐した。
つまり、京都に住んで、偽りの上品を、「なりすまし」ていた人間が、本性は「下品」である事を満天下に晒した。
私も、やっと合点が行った。
つまり、「眺望」が「超越」に至ったのである。
もう一つの「超越」事例については、今、度忘れしている。
この稿続く。