コリアンは何に関心を持たなかったのか ― 法治と文化
筑波大学教授・古田博司氏が指摘する「考えない知識人」の問題と、民族が歴史的に関心を持たなかった事柄が現在に与える影響を論じる。古代文明、日本人、そしてコリアンを比較し、法治と文化への無関心がもたらした帰結を鋭く分析する論考。
2017-08-06.
以下は7月26日に産経新聞に掲載された筑波大学教授古田博司氏の論文からである.
日本人は学ぶよりも考えよう.
幸か不幸か大学教授になってしまった私は、定年を間近に控えてとてつもない事実に気づいてしまった.
大学の同僚の多くが、「考える」ことをしていないのではないか.
そう思うと彼らの論文が急に色あせてみえた.
ディシプリン(分野の規範)に沿って、西洋人の学説を紹介し、日本人の研究を組み合わせ、気の利いたことを一言二言付け加え、さらなる史料の発見が待たれるとか希望的観測を述べる.
これでは、これだけ勉強しました、という小学生の「勉強日誌」と変わらないのではないか.
民族に存在する脱落した命題.
パスカルは「人間は考える葦」だと言ったが、われわれ文系教授は「考えない足」だ.
調査し史料をかき集めて一人悦に入る.
大学教授の講義には、①毎年同じような「読経型」②勝手気ままな「演説型」③学生にやらせる「トレーニング型」の3類型しかない.
驚愕した私は、直ちに担当ゼミをトレーニング型に変えた.
毎回出題し「考えること」を誘発するのだ.
いわく「古代エジプトにはなぜ歴史書が一冊も残っていないのか」.
「記憶と記録はどう違うか」など.
答えを言うと、その瞬間、知識になってしまい考えることにならない.
しかしここは紙面だから、言わないと読者がいらいらするだろう.
だからあえて言う.
民族には関心を持つものと持たないものがあるのだ.
古代エジプト人は歴史に関心を持たなかった.
だから歴史書がなく、碑文やパピルスの断簡ばかりだ.
インカ帝国人は文字に関心を持たなかった.
ならば日本人は.
「奴隷」と「盾」に関心を持たなかった.
だから敗戦奴隷の「シベリア捕囚」を抑留と勘違いして、まじめに働いてしまった.
そこから今、北方領土の共同経済活動でロシア人が何を期待しているのか察しがつくだろう.
「盾」のほうは、作家の百田尚樹さんに教わったのでそのうち彼からオリジナルを聞いてほしい.
コリアンは何に関心を持たなかったのか.
法治と文化だ.
法治がわからないので、弁護士出身の盧武鉉元大統領さえ昔の親日派の子孫から財産を没収してしまった.
無実の証拠が挙がっているのに、加藤達也元産経新聞ソウル支局長を裁判で見せしめにした.
文化はシナ文化しかなかったのでこれもよく分からない.
だから柔道も剣道もウリ(自分たち)が起源だと、文化音痴なことをいう.
これが俗にいうウリジナルだ.
民族にとって歴史上関心を持たなかったものについては、今に至るもよく分からないのである.
この稿続く.