取るに足らない属国としての朝鮮――西洋史料が示す歴史的位置

考古学・人類学・DNA研究と西洋史料は、朝鮮半島が文明の中核ではなかった事実を示している。
チンギス・ハーンへの貢女の史実は、朝鮮の国際的位置と従属性を如実に物語る。

砂漠やモンゴル高原を越えてチンギス・ハーンのもとにまで性奴隷としての貢女を送っている。
2016-10-25
以下は前章の続きである。
韓国人の出自については、考古学、人類学、DNAなどさまざまな分野の研究があり、説も多い。地政学や地理学、生態学から考えて、東夷の朝鮮半島はそもそも人間の居住に適していない辺境であった。
そのため朝鮮半島は、韓系(マレー・ポリネシア系)、倭系、西からの漢系、北のツングース(東胡)系などの流民(土幕民)の吹き溜まりと考えるのが合理的で、歴史から見ても、東アジア史に登場したのは「三国」時代と考えるのが妥当である。
それゆえ日本からの影響も強く、前述のように新羅の王が倭人だったというのも、当然なのだ。

中略

韓国人は日本人のルーツは朝鮮半島から渡った「落ちこぼれ」だと主張しているが、歴史的に見ればそれは逆なのである。
韓国人はまた、「朝鮮半島を通じて日本に文明を教えてやった」などと言うが、日本は中国大陸からは遣唐使の廃止(894年)まではさまざまな影響を受けたものの、朝鮮半島からはほとんど文明の恩恵は受けていない。
それどころか史実は逆で、たとえば米にしても、従来は朝鮮から日本に伝わったとされてきたが、それは問違いであり、支那大陸から日本に伝わり、それが水稲技術とともに朝鮮半島に渡ったというのが、米のDNA調査などからほぼ確実となっている。

中略

西洋においてようやく朝鮮が認識されるのは17世紀
西洋にとっては、朝鮮は存在そのものが漠然としており、16世紀末にいたるまで正確な地図すらなかった。
1505年に明に滞在したアウグスティヌス会宣教師マルティン・デ・ラダは高麗を支那の属国としてあげているが、16世紀のゴンザレス・デ・メンドーサによる『支那大王国志』は朝鮮についてまったくふれていない。
13世紀末に書かれた『東方見聞録』も、黄金の国ジパングにはふれているが、高麗(朝鮮)についてはほとんどふれていない。
チンギス・ハーンの孫にあたるフビライに征服されて以来、高麗は100年以上も元の統治下にあった。
フビライに信頼され高官にまで起用されたマルコ・ポーロが朝鮮にほとんどふれないのはじつに不思議である。
高麗は開国以来、契丹人の遼、女真人の金、漢人の宋のいずれを宗主とするかに悩まされており、砂漠やモンゴル高原を越えてチンギス・ハーンのもとにまで性奴隷としての貢女を送っている。
にもかかわらず、これほどまで「取るに足らない属国」扱いだったのだろうか。西洋にとって朝鮮半島はひとつの秘境であり、情報は皆無に等しかった。
初期の世界地図では、半島ではなく「島」として書かれている。
正確な世界観がないのは中国も同じで、前述の『山海経』も内容は荒唐無稽である。
福建地方でさえ唐代にいたるまで「島」と考えられており、天円地方(天は円く、地は方形であるという考え)が近代まで続いていた。
西洋人が朝鮮に本格的に関心をもつようになったのは、豊臣秀吉による16世紀末期の朝鮮出兵(壬辰倭乱)からであろう。
キリシタン大名の小西行長に随行した宣教師グレゴリオ・デ・セスペデスらが、ローマ本部にあてた年報で朝鮮半島について書いている。
この稿続く。

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