朝日新聞社が日本を牛耳って来たからである— 慧眼の士が増え続ける理由と、日本と中華世界の決定的差異 —
なぜ戦後70年以上、日本人は隣国と自国の本質的差異を知らされてこなかったのか。
朝日新聞とGHQの影響、黄文雄の著作、そしてシュリーマンの記録を通じて、日本文明の特異性と隠蔽されてきた歴史的真実を明らかにする。
朝日新聞社が日本を牛耳って来たからであるとの私の答えに頷く慧眼の士の数は増えているはずである。
2016-11-04
「2000年前から外国人が見て驚いた日中韓の違い」『世界はなぜ最後には中国・韓国に呆れ日本に憧れるのか』(黄文雄)、この本は、私たち日本国民が、隣国である韓国や中国について、全く知らない事を教えてくれる本でもある。それどころか、日本についても!
何故、そんな馬鹿な態様が戦後70年も続いていたのか。
朝日新聞社が日本を牛耳って来たからであるとの私の答えに頷く慧眼の士の数は増えているはずである。
私が長年の朝日新聞購読者であることは既述のとおり。私は高校生時分に世界史の教師に指名されて2時間、講義を受け持った人間である。私の母校は日本のエリート養成校と言っても過言ではない事も既述のとおり。
その私が、彼がこの本の中で教えてくれている多くの事実については全く知らなかった。
私は今確信している。朝日新聞はこれらの事実をどうしても隠しておく必要があった。それはGHQの意向そのものでもあっただろう。とにかく、過去の日本はとんでもなく悪い国だったとしなければ、彼らが犯した人類史上最大の戦争犯罪を覆い隠す事はできなかったからである。
このGHQに100%従順な記事を掲載して来ただけではなく、彼らの意図以上に、(まるで韓国か中国の新聞社であるかのごとくに)、日本を貶め、虐げる記事を書き続けて来た朝日新聞の記事と、日本の史実の違いに、私が気づきだしたのは
約10年前、3度目の京都再発見の後、毎週末に、京都を訪れ、デジカメで写真を撮影しだした時からである。
以下は、本当の意味でノーベル賞に値する黄さんの上記の著作からである。
前文略
中華と日本のあまりの違いに驚嘆したシュリーマン
19世紀半ばに清と幕末の日本を旅し、その両国の記録を残したのが、トロイア遺跡の発掘で有名なハインリッヒ・シュリーマンである。
彼は遺跡発掘の6年前である1865年3月に世界旅行へと旅立った。
そして海路でインド、香港、上海と北上し、1865年4月27日に天津に上陸、北京を経て万里の長城を見学もしている。
その後、上海に戻りしばらく逗留し、そこから日本へ向かった。
日本に1ヵ月ほど滞在した後、今度はサンフランシスコへ向かったが、その洋上で書き上げたのが『シュリーマン旅行記 清国・日本』(石井和子訳、講談社学術文庫)である。
連続して清と日本を見て回っただけに、その比較はきわめて資料的価値が高いだろう。
中略
その後、シュリーマンは上海から蒸気船北京号に乗り、日本の横浜へと向かった。
到着したのは1865年6月1日である。
シュリーマンは日本上陸にあたり、以下のように述べている。
「これまで方々の国でいろいろな旅行者に出会ったが、彼らはみな感激しきった面持ちで日本について語ってくれた。私はかねてから、この国を訪れたいという思いに身を焦がしていたのである」
「船頭たちは私を埠頭の一つに下ろすと『テンポー』と言いながら指を四本かぎしてみせた。労賃として四天保銭(十三スー)を請求したのである。これには大いに驚いた。それではぎりぎりの値ではないか。シナの船頭たちは少なくともこの四倍はふっかけてきたし、だから私も、彼らに不平不満はつきものだと考えていたのだ」
荷物検査の際にも、中国人官吏との違いについて、以下のように驚いている。
「(荷物検査を)できれば免除してもらいたいものだと、官吏二人にそれぞれ一分(二・五フラン)ずつ出した。ところがなんと彼らは、自分の胸を叩いて『ニッポンムスコ』(日本男児?)と言い、これを拒んだ。日本男子たるもの、心づけにつられて義務をないがしろにするのは尊厳にもとる、というのである」
また、シュリーマンには警護の役人がついたが、その過剰警護ぶりに少々辟易しつつも、役人の精勤ぶりには驚嘆している。
「彼らに対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現金を贈ることであり、また彼らのほうも現金を受け取るくらいなら『切腹』を選ぶのである」
町並みや人々の清潔さについても非常に感心しており、以下のように述べている。
「家々の奥の方にはかならず、花が咲いていて、低く刈り込まれた木でふちどられた小さな庭が見える。日本人はみんな陶芸愛好家である。日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本になるだろう」「日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない。どんなに貧しい人でも、日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている」「大理石をふんだんに使い、ごてごてと飾りたてた中国の寺は、きわめて不潔で、しかも頽廃的だったから、嫌悪感しか感じなかったものだが、日本の寺々は、鄙びたといってもいいほど簡素な風情ではあるが、秩序が息づき、ねんごろな手入れの跡も窺われ、聖域を訪れるたびに私は大きな歓びをおぼえた」
そして日本の工芸品については、「蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達している」と評し、「教育はヨーロッパの文明国家以上にも行き渡っている。シナをも含めてアジアの他の国では女達が完全な無知のなかに放置されているのに対して、日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる」と絶賛する。
その他、日本の質素な生活にも触れ、ヨーロッパでは結婚の際にさまざまな調度品や家具類を用意しなければならないために莫大な出費が必要とされ、そのために結婚難が起きているが、日本に来るとヨーロッパで必要不可欠だとみなされていたものの大部分が不要であることがわかると語り、正座に慣れ、美しいござを用いることに慣れれば、贅沢な調度品などなくても同じくらい快適に生活できる、とまで述べている。
そして、「ここでは君主がすべてであり、労働者階級は無である。にもかかわらず、この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地が見られる」と、日本の安全で安定した社会に感嘆したのである。
シュリーマンが感じた日本と中国の違いは、現在では日本を訪れた中国人が自国と比較してよく述べることとほとんど同じだろう。
後略