日本の命運を狂わせた歴史的スキャンダル — 第三次近衛声明と尾崎秀実の影
本稿は、中西輝政の論文を契機に、第三次近衛声明の策定過程を再検証する。
声明文作成にソ連スパイの尾崎秀実が深く関与していた事実が、内閣調査室で諜報実務に携わった春日井邦夫の研究によって明らかにされる。
日中和平が断たれ、日本の進路が決定的に歪められた瞬間を描く、21世紀の読者に必読の歴史的検証である。
言うまでもなく、この論文は、私の長い間の疑問を瞬時に解決した、ノーベル賞級以上の論文だからである.
2016-11-09.
京都大学名誉教授中西輝政氏の、この重要と言う以上に重要な論文を読んだ後に、私は私の恩師が「お前は京都大学に進学し、京都大学に残って、その両肩で京大を支えて立て」と私に命じた事は全く正しかった事を思った.
言うまでもなく、この論文は、私の長い間の疑問を瞬時に解決した、ノーベル賞級以上の論文だからである.
上記の恩師が私に2回も講師として登壇させたのは、レーニンがロシア革命を成功させる前夜のロシアについて、私が恩師よりも詳しいからだとしてだった.
当時の私がその頃のロシアに詳しかったのは、中学生時分にトルストイの「戦争と平和」と「アンナ・カレーニナ」を読んでいたからである.
だが私は、それ以降の、日本が関係した近現代史について、なぜかほとんど知らない事をずっと怪訝に思っていた.
朝日新聞の購読者だったからなおの事、全く知らないと言っても過言ではない状態だったのである.
以下は前章の続きである.
同じ一九三八年十二月二十二日に出された第三次近衛声明は、「善隣友好、共同防共、経済提携」という、いわゆる近衛三原則を示したものと言われている.
しかし重要なのは、東亜新秩序の建設に向けて、汪兆銘に新政権樹立への決意を促した「支那に於ける同憂具眼の士と相携へて東亜新秩序の建設に向って邁進せん」との文言である.
実は前月二十日、汪兆銘の密使高宗武らが訪日し、「中国側の満州国承認」と「日本軍の二年以内の撤兵」を条件とする和平推進が、日本政府との間で合意されていた.
ところが公式に発表された第三次声明には、なぜか日本軍の撤兵は盛り込まれていなかった.
これは日本側の重大な約束破りである.
すでに蒋介石との離別を決意し、重慶を離れて退路を断たれていた汪は、やむなく和平路線を突き進み、一九四〇年に南京国民政府の樹立に至る.
いずれにせよ、この汪兆銘工作と共に日本軍の撤兵が消えた時点で、蒋介石政権との和平の道は完全に断たれていた.
そして、その第三次近衛声明の作成に、近衛内閣に嘱託として入り込んでいた尾崎秀実が、極めて大きな役割を果たしていたことが近年明らかになってきた.
これを明らかにしたのが、一九六五年から二十二年間、内閣調査室に在籍した諜報のスペシャリスト春日井邦夫氏の大著『情報と謀略(上)(下)』である.
春日井氏が直接的関与の証拠としたのは、ソルゲ諜報団事件で尾崎に国家機密を漏らしたとして起訴された犬養健の公判弁護関係資料である.
犬養は尾崎の親友で、第一次近衛内閣では衆議院議員から逓信省参与官に政治任用されていた.
その弁護関係資料は京都大学に保管されており、我々の研究グループがその内容を確認した.
そこには、第三次近衛声明案について「尾崎は牛場友彦首相秘書官と共に執筆したり」と断言する記述がある.
尾崎案は陸軍方面から異論が出たため修正され、近衛首相の意見も加えて完成した.
しかしその作業が行われた夜、首相官邸に勤務していた横溝情報部長にすら秘される中で、尾崎は首相秘書官室の真下の自室に夜まで居残っていたという.
尾崎が声明内容をどこまで左右したかの詳細は不明だが、日本の命運を左右する文書作成に、「支那事変の和平を潰し、日中両国を疲弊させ革命を起こす」意図を持つ人物が関与していたのである.
これが日本の命運を狂わせた歴史的スキャンダルでなくて何であろうか.
犬養公判資料には、さらに驚くべき事実が記されている.
この稿続く.