サンフランシスコ平和条約説の決定的誤り — 吉田茂演説が示した国後・択捉の真実

一九五一年九月七日のサンフランシスコ講和会議における 吉田茂 首相の公式演説は、国後・択捉が日本固有の領土であることを国際社会に明確に示していた。
本稿は、サンフランシスコ平和条約第二条の誤った解釈を、首相演説という最上位の一次史料によって論破する。

一九五一年九月七日、サンフランシスコ講和会議における吉田茂首相の演説で示されている.
2016-11-14.

以下は前章の続きである.

見出し以外の文中強調は私.

「サンフランシスコ平和条約説」の誤り.

前文略.

この佐藤氏の寄稿にある、サンフランシスコ平和条約第二条C項での南樺太、千島列島の放棄については、たしかに一九五一年十月十九日、当時の西村熊雄外務省条約局長が衆議院の平和条約・日米安保条約特別委員会で、「サンフランシスコ平和条約にある千島列島の範囲については、北千島、南千島の両者を含むと考えています」という答弁を行なった.

これを論拠として、日本の一部の論者は、「これは日本が国後・択捉を放棄したことを意味するから、日本側の国後・択捉両島に関する主張は通らない」という主張を繰り返してきた.

だが、この条約局長の発言など比較にならないほど重い言葉が、一九五一年九月七日、サンフランシスコ講和会議における吉田茂首相の演説で示されている.

全条約締約国の代表を前にして、吉田首相は次のように発言したのである.

「千島列島及び樺太南部は、日本降伏直後の一九四五年九月二十日、一方的にソ連領に収容されたのであります.
また、日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島も、終戦当時たまたま日本兵営が存在したために、ソ連軍に占領されたままであります」.

まさにロシア(ソ連)による「不法占拠」であることを力説しているのである.

さらに続けて吉田は、「日本開国の当時、千島南部の二島、択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシアも何ら異議を挿さまなかったのであります.
ただ得撫島以北の北千島諸島と樺太南部は、当時、日露両国人の混住の地でありました.
一八七五年五月七日、日露両国政府は、平和的な外交交渉を通じて、樺太南部は露領とし、その代償として北千島諸島は日本領とすることに話合をつけたのであります」と述べている.

ここにおいて、国後・択捉を日本固有の領土であるとする日本の立場の正しさは明らかである.

たかが条約局長の国会での曖昧な答弁ごときで、一国の首相が条約締結に際し、国際社会に直接示した意思表示の重さを覆すことはできない.

先述した歴史的事実と併せて、「日本はサンフランシスコ平和条約で国後・択捉の二島を放棄した」という説が誤りであることを、ここで明記しておきたい.

後略.

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