戦後七十年の沈黙 — 米国の仕掛けを語らぬ朝日新聞

高山正之の『週刊新潮』連載は、戦後史の核心にある「米国の仕掛け」を鮮烈に描き出す。
しかし朝日新聞はそれを語らない。
河南大飢饉、日本軍の行動、皇室報道を通じ、戦後七十年続く歴史の歪曲と沈黙を告発する。

戦後70年。それが米国の仕掛けだったことが見えているのに、朝日はそれを語らない.
2016-11-14.

週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の人気連載コラムの今週号を読んだ人たちは、高山正之は、もう一人の私だと言っても過言ではないとの私の言及が、全くその通りであると驚いたはずである.

三笠宮が亡くなった日のNHKのWatch9を観ていた私が、彼らの報道の仕方の異常さに気づいて論説したが、私はこの日の前後の朝日新聞は読んでいなかった.
それほどに今は、この新聞を斜め読みしているのである.
しかし高山正之は、しかと読んでいたわけである.

NHKの報道番組を編集している人間たちの多くが朝日新聞を購読して育ち、彼らの論説を自分の頭脳としている人間たちなのか.
あるいは、韓国や中国に完全に操縦されているのか.
そのどちらかなのだろうとの私の言及の正しさも、高山正之は証明していた.

見出し以外の文中強調は私.

変見自在.

「お言葉ですが」.

1942年は、かの地で金正日が誕生し、こちらでは小泉純一郎が生まれた.
日本にとっても世界にとっても厄年だった.

存在自体が禍のような支那にもこの厄が及んだ.
同じ年、かつて中原と呼ばれた河南省を信じられない凶作が襲った.
翌年には蝗の大群が追い打ちをかけた.

人々は飢えたが、蒋介石政府の役人に情けはなかった.
年貢を取り立て、翌年の播種用の籾まで奪った.

民は雑草を食べ、茸を食べ、毒茸ならそこで死ねた.
極限の飢えの中で子を殺して食った.
隣の子と替えて食った.
易子而食という言葉があること自体が恐ろしい.

この飢饉で河南省では300万人が餓死した.
劉震雲は『人間の条件1942』でその惨状を描いている.

そこには米政府が送り込んだ反日工作の宣教師が登場する.
彼らは教会を開放したが焼け石に水だった.
蒋介石は動かなかった.

なぜなら彼にとって民などどうでもよかったからだ.
四年前、黄河の堤防を決壊させ、それを日本軍の爆撃のせいにした.
その結果、百万の民が死んだ.

それでも日本軍が進攻してくると、糧食を分け与えた.
道案内し、担架を担ぎ、中国軍を武装解除した.
漢奸と呼ばれたが、こんな国に売ってはいけないものなどあるのかと彼らは語った.

同じ地で孤児を拾い、服や菓子を与えた.
日本軍は孤児を守り、飢えた者を救った.

三笠宮崇仁親王が薨去された.
朝日は皇室に敬語すら使わず、宮様の若き日の言葉を政治利用した.

戦後70年.
それが米国の仕掛けだったことが見えているのに、朝日はそれを語らない.

支那人が皇軍に感謝している事実も伏せる.
どこまでも薄汚い新聞だ.

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