日米交渉でルーズベルトが恐れたもの――日本の「意外な大妥協」。
長谷川煕の論考をもとに、近衛・ルーズベルト会談が拒否された真の理由を検証する。ルーズベルト政権が恐れたのは日本の強硬姿勢ではなく、戦争を回避しかねない「大妥協」だった可能性を、グルーやドゥーマンの証言から明らかにする。
日米交渉でのルーズベルトの恐怖は、日本に意外な大妥協をされることだったのだろう。
2016-12-14
以下は長谷川煕氏の渾身の論文の続きである。
アメリカが近衛・ルーズベルト会談を蹴ったことは、グルーのような真っ当な思考の人々から見たら、ルーズベルト政権の無能、失態と嘆かざるを得ないような話であろう。
それは背筋の通った感慨である。
が、ルーズベルトないしルーズベルト政権のごく内輪では、「上策」「してやったり」と舌を出して笑っていたのだと私は思う。
対日講和条約が発効し、日本の主権が回復した1952年の秋に、あの戦争勃発期にグルーを支えた在日米大使館参事官のユージン・ドゥーマンが日本を訪ねた。
しかし、10年振りに再会したその日本は、伝統的な美徳も失い、変わり果てた姿の一国だった。
そんな中でも彼は旧友の元近衛首相秘書官牛場友彦に会い、そして告げた。
米側はあの時期、近衛文麿のあらゆる避戦努力を計画的にトルピードしたのであると。
交換船で本国に戻って以後、彼は事の真相を知ったようだ。
この事実は牛場から政治学者矢部貞治に宛てた手紙に記されている。
「トルピードする」とは水雷で軍艦を破壊する意味だが、目論見とか何かを潰す意味もある。
要するに、ルーズベルト政権はいかなる妥協案を日本が示そうと、それを全て無視し、日本に開戦を強いたかったのである。
宣戦されれば、待っていましたと反枢軸の大戦に参入できる。
日米交渉でのルーズベルトの恐怖は、日本に意外な大妥協をされることだったのだろう。
首脳会談で近衛がそれを一挙にやりそうな気配があることが、真面目な在日大使グルーからの報告で感じられたので、ルーズベルトは近衛と会えなかったのだろう。
しかし、近衛から逃げることで、ルーズベルト政権は窮地から脱したのである。
その前後の状況から私はこう判断する。
この稿続く。