文明のターンテーブル登場の必然—沈黙を破った言論とその影響。

筆者がインターネット上に「文明のターンテーブル」を発表した経緯と、その社会的影響を振り返る回想録。
企業、大学、官庁、政界まで広く読まれた当時の反響と、自身の人生経験を踏まえた言論活動の必然性を語る。
大阪・梅田を舞台に沈黙を破って登場した背景と、世界的発信の意義を記す章である。

そんな私の文明のターンテーブルが日本と世界を変えなかったわけはないのである。
2018-01-07。
以下は前章の続きである。
昨日の結果で私は改めて、私が登場した頃の文明のターンテーブルを読み返してみた。
我ながら、私の文明のターンテーブルは凄いと強烈に再認識したのである。
当時、私は、goo,アメーバ、FC2と3つのサイトで掲載を開始した。
出来るだけ多くの人に届けようと思ったからである事は言うまでもない。
当時のFC2は、読者の所属先が分かったのである。
日本が世界に誇る大企業の殆ど全て、国公立大学の全て、早慶、関関同立等の有名私立大学の全てだけにとどまらず、霞が関のほぼ全省庁、のみならず、衆議院=国会議員たちも、連日、読んでいたのである。
私は、それは至極当然の事だった事を、再認識したのである。
私の同級生440人は皆、日本を代表する優秀な人間達だが、中でも真ん中から上半分は、上記の組織の長に立ったりしている。
私は文科系に所属していたのだが、神様が私に与えた試練の結果としての家庭的な不幸の中で、
神様が与えた能力の所有者であった私は、彼等とは全く違う人生を送った事は、読者はご存知のとおり。
それでも彼らは私が何者かは知っていたから…卒業文集には、こう記載されていた。
三人のKがいる…このKはいずれ日本の文壇に大きな足跡を残すのだろう…。
それが彼等の私に対する評だったのである。
その私が、長すぎた沈黙…彼等には消息不明ですらあった、不在を、突如破って、
文明のターンテーブルを引っ提げて、人類史上最大の図書館である、インターネットに登場したのである。
その契機は、私が人生の舞台として選択した大阪、
日本には超の付く一等地は二箇所しかない…それは銀座と梅田である。
その梅田の北ヤードにおける信じがたい経緯について、業を煮やして…これ以上ないほどの怒りを持って…
言論人としては全く無名の人間だった私が、こうなれば、インターネットに登場するしかない、と決意して登場したのである。
彼等に届かないわけはなかったのである。
同級生の何人かは、やっと登場したか、と思ってもくれただろう。
そんな私の文明のターンテーブルが日本と世界を変えなかったわけはないのである。

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