サンフランシスコは中国の“飛び地”となったのか—慰安婦像問題と米中影響工作の実態—

月刊WiLL掲載の河添恵子氏の論考をもとに、サンフランシスコ慰安婦像問題と中国系団体の影響力、上海との姉妹都市関係、そして大阪市との関係断絶に至る経緯を論じる。
サンフランシスコが長年中国の政治的影響下にあるとの視点から、米中関係と歴史戦の現実を提示する。

そもそも、サンフランシスコ市はとっくの昔から中国の“飛び地”と化している。古くは戦前から。
2018-01-09。
以下は月刊誌WiLL今月号に掲載されている河添恵子さんの労作からである。
サンフランシスコ慰安婦像の衝撃!。
華人“くノ一”の暗躍。
チャイナタウンで知られるサンフランシスコーそこはとっくに友好都市ではなくなった。
リー市長、突然死。
米サンフランシスコ市議会は、9月22日を「慰安婦の日」と定め、世界抗日戦争史実維護連合会らが現地に建てた慰安婦像の寄贈と維持費を受け入れる決議案を11月14日、全会一致で可決させた。
そして華人系二世のエドウイン・リー(李孟賢)市長は、その決議案に署名をした。
これにより、「性奴隷にされた何十万人の女性」「大多数は囚われの身のまま命を落とした」などと、碑文に“フェイク”が刻み込まれた慰安婦像が市の所有となった。
リー市長宛てに寄贈の受け入れの反対を明記した公開書簡を送付(平成29年2月1日付)していた姉妹都市、大阪市の吉村洋文市長はこの決定を受け、11月23日に、「リー市長の行動により姉妹都市の信頼関係は消滅した。姉妹都市解消に向けた内部手続きを行い、12月中には手続きを完了させたい」とのコメントを出した。
さらに12月11日、市長は「姉妹都市解消後も抗議の書簡を送る」との考えを明らかにした。
ところが、その翌日、驚きの一報が入った。
リー市長が突然死したのだ。
享年六十五だった。
通知は先送りとなり、哀悼の誠を捧げる書簡に変わった。
そもそも、サンフランシスコ市はとっくの昔から中国の“飛び地”と化している。
古くは戦前から。
そして、米中が国交を樹立(1979年1月1日)し、同年に上海との姉妹都市関係を締結するが、江沢民が上海市長に就いた1985年以降、ほぼ彼の支配下に入っていたのだ。
この稿続く。

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