失墜した大新聞の権威。—安保闘争とメディア支配の戦後史。

2017年は新聞・テレビなど主流メディアの権威が失墜した年として記憶される。
戦後、日本の大新聞は過剰な権威を振りかざし、60年安保では学生運動を煽りつつ、情勢が変わると一斉に収束へと舵を切った。
メディアと政治運動の関係を検証する論考。

それまでは、大新聞は分を過ぎた権威を振りまいてきた。人々も無批判にそれを受け入れてきた。
2018-01-14。
以下は月刊誌WiLL今月号に…総力特集 カラ騒ぎに終わった「モリ・カケ」朝日報道、記者の仮面をかぶった活動家だよと題して掲載された、高山正之と長谷川幸洋の対談特集からである。
見出し以外の文中強調は私。
政権と闘うことが使命?寝言だろう。
それならただのアンチで自由でもなんでもない。
権威の失墜。
高山。
2017年は、新聞やテレビなどの「メイン・ストリーム・メディア」(以下、MSM)の権威が失墜した年として記憶されるんじゃないか。
それまでは、大新聞は分を過ぎた権威を振りまいてきた。
人々も無批判にそれを受け入れてきた。
過去を遡ると、60年安保では朝日新聞の音頭取りで各社とも、「岸、退陣しろ」と騒ぐ学生運動を擁護するような論調だった。
ところがそんな最中、1960年6月15日、国会に雪崩れ込んだ東大生(共産党員・ブント書記局長)樺美智子が22歳の若さで死んだ。
機動隊との衝突で倒れたところを逃げる学生らに踏みつぶされたのが真相だが、公称35万人のデモ学生は彼女の死を知って逆上した。
それこそ明日にでもデモ学生が国会を占拠、流血拡大、左翼革命なるかみたいな雰囲気になった。
朝日新聞はその前年、朝日ジャーナルを発刊し、それが爆発的に売れた。
革命を煽りまくった存在だが、その朝日の笠信太郎(朝日新聞論説主幹を務めた)が樺美智子の死で早速動いた。
在京7社(朝日、読売、毎日、日経、産経、東京、東京タイムス)の幹部を招集し、暴カデモに反対し、民主主義を守る趣旨の朝日新聞謹製社説いわゆる「7社共同宣言」を載せた。
各社はへへ―と従った。
煽った新聞がデモ学生の梯子を一斉に外した。
安保闘争はまるで水をふっかけたように沈静化していった。
この稿続く。

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