失墜したMSMの権威と「政権と戦う」ジャーナリズムの誤謬

インターネットとSNSの台頭により、主流メディア(MSM)の発信だけが報道ではないと読者・視聴者が気づき始めた。中国や北朝鮮の脅威という厳しい国際環境の中で、政権批判だけを使命とするジャーナリズムの姿勢は根本的な誤りである。報道の本来の使命は、政権と戦うことではなく、独立した立場から自由に論評することである。

MSMが言っていることだけが意見、報道ではないと読者、視聴者が気づいたわけです。
2018-01-14。
以下は前章の続きである。
政権を監視するだけ?。
長谷川。
MSMの権威が失墜した原因は、二つの要素があると思います。
一つはインターネット、SNSから発信される情報が注目を浴びるようになった。
MSMが言っていることだけが意見、報道ではないと読者、視聴者が気づいたわけです。
もう一つが、外的要因として日本を取り巻く環境が非常に厳しくなった。
中国、北朝鮮が日本を本当に脅かし始めている状況がある。
この事実を日本国民が認識し始めています。
これらの要因に対して、MSMはどのように取り組んできたのか。
とりわけ左派系ジャーナリズム(朝日、毎日、TBS、テレビ朝日など)、ジャーナリストたちは伝統的に「政権を批判する」「監視する」もっと言えば、「政権と戦うことが俺たちの使命だ」と思い込んでいる。
高山。
アンチ安倍ね。
長谷川。
私はそこが「根本的な間違い」だと思っています。
なぜかというと、政権を監視するのはジャーナリズムの大事な使命の一つではあるけども、それがすべてではありません。
一部分に過ぎない。
政権から独立して、自分が自由な立場で報道、論評することこそがジャーナリズムの本当の使命でしょう。
これは「政権と戦うこと」とは似て非なるものです。
なぜか。
「政権と戦う」ことをジャーナリズムの使命にしたら、自民党政権のときは自民党と戦う、立憲民主党政権のときは立憲民主党と戦う、共産党政権になったら共産党と戦う……ということになってしまう。
そうなると、ジャーナリズムに独立性や本当の自由が存在するのか?存在しないでしょう。
政権は国民が自由に選んで誕生しているけど「その反対の位置に立つのがジャーナリズムやジャーナリストだ」と定義してしまったら、政権の反射作用だけで動いていることになってしまう。
自分の考えがなくなってしまうのです。
ただ「アンチ政権」を叫ぶだけになる。
自由でもなんでもありません。
この稿続く。

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