GHQ統治思想とMSMの国家観。
戦後日本のメディア観はGHQ統治思想と憲法前文の影響を強く受けたと指摘される。国家と国民を対立させる枠組みの中で、メディアは「国家監視」を絶対的使命と捉え続けてきた。その背景と問題点を論じる。
GHQの言う「国家の敵」をマルクスの言葉で語ってみただけで彼はマルキストではなく、ただの馬鹿だ。
2018-01-14。
以下は前章の続きである。
長谷川。
そんな部分が露骨になりすぎたのが、現在のMSMです。
高山。
いやあ、そんなに彼らは頭が良いとは思わない(笑)。
基本的に言えば、マッカーサー憲法ですよ。
よその国を統治するには分割統治が一番いい。
ただ日本には対立軸、民族とか宗教とかがない。
で、マッカーサーは国家と国民を対立させた。
彼の日本国憲法の前文には国は悪いことをするから、国民はそれを監視せよとある。
その国民を代表して監視するのがメディアだとマッカーサーは位置づけた。
この前文を金科玉条のように掲げ、さらにGHQは自虐史観を覆いかぶせた。
長谷川熈は「朝日はマルキシズムにかぶれた」とか言ってるけど、そんなのは後付けにすぎない。
朝日新聞はGHQのこの支配統治をそのまま委任されたつもりで「国を批判しなければいけない」と思い込んできた。
朝日新聞の主筆、船橋洋一は「暴力装置をもつ国家権力」という言い方をしたが、GHQの言う「国家の敵」をマルクスの言葉で語ってみただけで彼はマルキストではなく、ただの馬鹿だ。
そう言っていればすべて免責されて、慰安婦のウソを書こうが「国家が悪い」が成立しさえすればいい。
その典型が、他国にはない国家賠償法だ。
国が悪い。
それなら国が悪いことをしたら罰金を取るべきだというわけだ。
まともな国家には行持上の無答責が確立されているけれど日本はそれを放棄した。
この稿続く。