「今日で終わってもいい」覚悟が生む報道の自由。

報道の自由を守るためには、番組や連載が終わる覚悟が必要だと語る。スポンサーや取材先との距離を保たなければ、記者はやがて権力や情報源の「ポチ」になる。真実を伝えるための覚悟と、取材と独立性の関係を論じる。

私が番組で何度も言っているのは「この番組は今日を最後に終わる覚悟でやってます」という話です。
2018-01-14。
以下は前章の続きである。
ポチ化する記者。
長谷川。
「こんな番組は面倒臭いな」と思っている人もいるかもしれませんね(笑)。
放送を続けるために東京MXテレビやスポンサーなど、煩わしい話はたくさんあると思う。
でも、私はあえて距離を置くようにしています。
そこに入り込んでしまうと、それこそ自由を失ってしまいますから。
私が番組で何度も言っているのは「この番組は今日を最後に終わる覚悟でやってます」という話です。
言いたいことは、今日の番組ですべて言う。
その代わり、今日で終わってしまっても、まったくかまわないと。
それくらいの覚悟でないと、本当の話は伝えられません。
そう言うと、スタッフは「終わっては困る」と言ってますが(笑)。
でも、私はかまわない。
そこが私とスタッフの立場の違いです。
高山。
それこそ矜持だね。
長谷川。
このスタンスは、取材先についても実は一緒なんです。
いま、コラムを毎週二回書いているけど、私はあえて、最低限のことしか取材しません。
「情報をもらうためには、夜、メシを食って酒を飲まないと」という話がよくあるでしょう。
私はそれにはいい面もあるけど、悪い面もあると思っています。
相手と夜、食事したりすると、どうしても自分の思考が取材先に引きずられてしまう。
かつ、その人を私の大事な情報源にすると、相手の立場や利害を忖度するようになる。
つまり「ポチ」化の始まりなんですよ。
「新聞記者はポチだ」と最初に言ったのは私だと思うけど(笑)、なぜかというと、新聞記者のほとんどは「取材してなんぼ」と思っている。
事実、駆け出しの頃は政治家や役人、警察にべったりとなる。
警察取材が新聞記者の始まりであるのはなぜか。
それは相手の「ポチ」になることを覚えさせるためです。
高山。
そこまで矮小化しなくてもいいかもよ(笑)。
この稿続く。

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