沖縄戦をめぐる「捨石論」の再検証。

沖縄戦をめぐり語られてきた「本土が沖縄を捨石にした」という通説に対し、当時の戦闘経過や本土からの増援、特攻出撃などの史実を踏まえ再検証する。沖縄戦の歴史認識をめぐる議論と、その背景を考察する。

ところで『沖縄タイムス』は「大東亜戦争のとき、日本本土は、沖縄を捨石にした」と言われます。
2018-01-16。
以下は前章の続きである。
文中強調は私。
ところで『沖縄タイムス』は「大東亜戦争のとき、日本本土は、沖縄を捨石にした」と言われます。
今回の私に対する記事の中にもそういう論調があります。
しかし、それはまったく違います。
72年前、日本は沖縄を捨石になんかまったくしていません。
捨石にするというのは、米軍が沖縄にやってきた、それを日本軍が沖縄をまったく守らないで、兵力を温存して沖縄のためには一兵も出さないで、本土決戦のために備えて、沖縄がやられても見て見ぬフリをすることです。
日本は沖縄を守るために、どれだけの力を使ったか。
特攻機も何千機と出して、五千人以上死んだのです。
それから戦艦大和も、絶望的状況にもかかわらず敢然と沖縄に向かったのです。
そして途中で沈められて、三千人以上が亡くなった。
沖縄戦では、沖縄の軍人たちもたくさん亡くなりましたけども、沖縄県以外の軍人たちが沖縄へ続々と行って、そこで何万人という方が亡くなっているのです。
沖縄の軍人以上の人たちが亡くなっているのです。
だから、日本は沖縄を決して見殺しにしていないし、捨石にもしていない。
つまり、沖縄を守るために、日本はどれだけ頑張ったのか、ということです。
それでも沖縄は、大東亜戦争で唯一の地上戦になって、たくさんの方が亡くなりました。
十万人近い沖縄の市民の方が亡くなられたのですが、実は、ほとんどが沖縄の地上戦が終わってから亡くなられているのです。
つまり、地上戦の最中は、沖縄の方は割合としてあまり亡くなられていないのです。
どういうことかというと、日本軍が必死で守っていたからです。
ところが、地上戦で負けて、日本軍が壊滅してしまってから、米軍の虐殺が始まったのです。
この稿続く。

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