沖縄メディア論争と「新聞の形をした機関」論。
沖縄の新聞報道のあり方をめぐり、報道機関としての役割や活動手法への批判が提起されている。基地取材や表現の自由をめぐる議論を通じ、沖縄メディアの位置づけと信頼性について考察する。
逆に沖縄の新聞は、新聞の形をした工作機関であると考えると、彼らのやっている行動に説明がつきます。
2018-01-16。
以下は前章の続きである。
我那覇。
新聞の購読者数にも表れていますが、「どうやら二紙がおかしい」と、最近は思い始めている人もいます。
私はもう少し進んで、「沖縄の新聞は新聞ではない。新聞であることを前提に沖縄の二紙を論じては、沖縄二紙が理解できないのではないか」と思っています。
説明しづらいところがたくさんある。
逆に沖縄の新聞は、新聞の形をした工作機関であると考えると、彼らのやっている行動に説明がつきます。
普通の言論機関、報道をして県民に真実を知らしめようという使命感に燃えていれば、しっかり法律も守って、常識の範囲内で報道すると思います。
彼らはそうではなく、基地の中に不法に侵入して情報を取ってきてなんぼと考えている。
普通の人が基地の中に同じように入って情報を取るとすると、明らかにスパイ、あるいは工作活動ととられてしまいます。
しかし、同じようなことを『沖縄タイムス』や『琉球新報』の腕章をつけていれば、なぜか「新聞報道」という形で見逃されてしまうのが沖縄なのです。
しかも、防衛局の「勝手に入ってはいけない」という注意喚起にも逆らって、活動家の人たちとカヌーに乗り、海から越えて基地の中に入ったことを抗議されても、「自分たちは表現の自由を守るためにやる」と、堂々と反論しています。
この稿続く。