菅内閣の亡霊が、立憲民主党として蘇ったのである。—無能な政権が招いた大震災と戦後野党の本質—

本稿は、東日本大震災と福島第一原発事故当時の菅直人内閣の対応を批判的に振り返りつつ、その体質が現在の立憲民主党に引き継がれていると論じる文章である。
阿比留瑠偉の論考を手がかりに、官邸の混乱、原発事故対応の遅れ、被災者支援の停滞、そして菅政権を十分に批判しなかった朝日新聞やNHKなどの報道機関の責任を問うている。
さらに、枝野幸男、福山哲郎、辻元清美らを含む立憲民主党の主要構成員が菅内閣の中枢にいた事実を挙げ、同党を「菅内閣の純化」と位置づけている。
東日本大震災、福島原発事故、菅直人、阿比留瑠偉、立憲民主党をめぐる歴史的教訓を刻む一文である。

2019-03-13
安倍首相は菅内閣発足時、「極めて陰湿な左翼政権」と呼んだが。
*安倍首相が稀代のリアリストで物事を正確に見ている稀有な政治家である事を証明していた。*

以下の章こそ日本国民全員が毎日読み。
決して忘れてはいけない本当の報道である。
と題して2019-03-11に発信した章が、公式ハッシュタグランキング、阪神34位に入っている。

以下の章こそ日本国民全員が毎日読み。
決して忘れてはいけない本当の報道である。

読者はご存知のように、福島をフクシマにしたのは菅直人であると、インターネットという人類史上最大の図書館に世界で最初に指摘したのは私である。
阿比留瑠偉は伊達に高山正之の後輩ではなく、現役記者として日本最高のジャーナリストの一人である。
彼が月刊誌正論今月号に掲載した論文は、私の指摘が100%正しかった事を完璧に証明している。
日本国民全員が肝に銘じて読まなければならない論文である。

有数の読書家である友人は、阿比留氏と同様に、当時官邸キャップだった各社の記者達は、何故、菅直人の実態を国民に伝えて来なかったのかと、心底、憤慨していた。
私は、この論文を、毎日、発信したいと思っているほどである。
朝日新聞の購読者は、当時、朝日新聞の重鎮だった星浩が何度も、この菅直人の嫁を称賛する記事。
それも大きなスペースで。
を掲載した事を覚えているはずだ。
私は、当時、この星浩は道鏡か。
とあきれ果てた。

池江璃花子と同じ大病を患って7カ月の入院生活を送っていた時、何度かリフレッシュ退院した時の事である。
私は空海が京都で最初に住まわせられていた寺である神護寺に行った。
屈強な健常人でも、ここの階段は体に応える。
私は、「こんな酷い道を歩かせて拝観料を取るというのか。
エレベーターを作れ」と、同行者に怒った程だったが、何度も訪問している内に、流石に空海ゆかりの寺と逆に感じ入るようになった。
観光客は殆ど行かない裏山に行くようになった。
何故なら、そこには和気清麻呂の墓があるからである。
神護寺は実は和気清麻呂の寺だったのである。
ある日、彼の墓の前で彼の冥福と彼に対する感謝を合掌していた時の事である。
何者かの気配を感じて振り返った私は驚いた。
そこに見事な姿態の鹿がいて、私をじっと見ていたからである。
私が「おお、お前は和気清麻呂」と歩を運んだら、彼は、大変な急斜面を、あっという間に駆け抜けて行った。
私、阿比留瑠偉、高山正之は、日本国にとって、今を生きる和気清麻呂である。

無能な政権が招いた大震災。
~立憲民主党は菅内閣の亡霊である。

「民主党政権時代の最大の苦しみ、そして申し訳なかったと思うことは原発事故ですよ。
もっとうまく対応できなかったか。
私たち反省がありますよ。
だけど同時に、その前の自民党政権も責任あるんじゃないですか」。

立憲民主党会派の岡田克也元副総理は2月12日の衆院予算委員会で、安倍晋三首相がそれに先立つ自民党大会で「悪夢のような民主党政権」と形容したことにかみつき、こう反論していた。

平成23年3月11日の東日本大震災発生時、岡田氏は民主党幹事長だった。
その当時を振り返り、足らざる点があったことを認めたのはいい。
だが、これではまだまだ反省が不十分である。

筆者は震災発生時、産経新聞の首相官邸キャップを務めており、官邸に常駐していた。
そこで自ら目撃し、取材し、あるいは同僚記者らから報告を受けた菅内閣の震災対応は、まさに「悪夢」そのものだったからである。

他人を信じず逆ギレ。

あまり思い出したい過去ではないが、国家の指導者を選び損ねるととんでもない目に遭うという教訓として、当時を振り返りたい。
未曾有の被害をもたらした東日本大震災という戦後最大の国難にあたって、菅直人氏は物事の軽重も優先順位も理解せず、猜疑心の塊となって部下の官僚を信用せず、人気取りのパフォーマンスを繰り返し、うろたえて涙ぐみながら周囲に当たり散らしていた。

日本の最高責任者が機能しないどころか、復旧・復興の邪魔となり、与野党が協力して国難に立ち向かう障害となっていたのだから、これを「悪夢」と言わず何と言うのか。
あの頃、首相秘書官の一人が、悄然としてこう語るのを聞いた。

「普通はこんな大災害が起きると、首相と秘書官らは一心同体となるものだけど、逆に震災発生後に首相と秘書官の距離が余計に離れていった」。

実際、菅氏があまりに無意味に怒鳴り散らすため、秘書官らは互いにすれ違う際などに放射線被曝をもじって、こんなことをささやき合っていたという。

「きょうは、40ミリ菅シーベルト被曝したよ」。

菅氏は他人を信じず、東電福島第一原発事故の対策については専門的な問題や技術的な細部まで全てに口出しした。
揚げ句、自分の理解できる範囲を超えた進言や提案には逆ギレし、却下した。

決断できないリーダー。

「よくもまあ、日本国民もこんなばかな首相をいただいたものだ。
私の知る限り、歴史上最低の首相じゃないですか」。

これは原子炉復水器の専門家として、原発事故発生直後から官邸に助言・提案を行っていた上原春男・元佐賀大学長の感想である。
古くは福田赳夫氏から最近では安倍晋三氏まで、多くの首相からエネルギー政策全般について意見を求められてきた上原氏だが、菅氏にはあきれ果てたという。
経緯はこうである。
上原氏は事故発生を受け、ただちに官邸側に冷却系の回復を訴え、外部冷却装置設置のための図面も送った。
3月16日には、事故対策統合本部の細野豪志首相補佐官(当時)に呼ばれて上京する。
枝野幸男官房長官(同)や海江田万里経済産業相(同)とも会い、いったん事務所のある佐賀市に戻って作業に必要な機械類の手配を進めた。

「ところが、官邸高官らといくら話しても『首相がなかなか判断せず、決めてくれない。
首相が最終決定権者だからどうにもならない』というばかり」。

当時、政府関係者の一人は「首相には大局観がまるでない。
反対に、自分が知っている瑣末なことにこだわり、いつも判断を下すのが二日遅れる」と嘆いたが、まさにその構図が展開されていたのである。

3月20日には、上原氏の事務所に民主党の原口一博元総務相や大串博志元内閣府政務官らが集まり、原発事故対応を協議していた。
そこで原口氏が携帯電話で菅氏に連絡し、上原氏に取り次いだところ、こんなやりとりがあった。

菅氏。
「あなたのリポートには目を通したが、技術的に理解できない。
外部冷却装置はどこにつけるのか。
私がどこにつけていいのか分からずに決定はできない」。

上原氏。
「そんなことは首相が考えるべきことではないはずだ。
技術的に分からずとも、やるやらないの決断はできるでしょう」。

すると、菅氏は突然「なにいっ!」と激高して、日本語かどうかも聞き取れない言葉で延々とわめき散らしたという。
上原氏は筆者の取材にこう振り返っていた。

「ショックを受け、本当に怖くなった。
一国の首相がこんな状態では国は危ないと感じた」。

風評被害の発信源。

また、菅氏は民間事故調調査報告書によると、第一原発の非常用電源であるディーゼル発電機が壊れ、代替バッテリーが必要と判明した際、異様な行動をとった。
自分の携帯電話で担当者に「大きさは」「縦横何メートル」「重さは」などと直接質問し、熱心にメモをとっていたのだ。

政府関係者によると、普通の政治家ならばまず「その事態にどう手を打つか」を考えるところを、菅氏は「なぜディーゼル発電機が壊れたか」に異常に関心を示し、議論がなかなか進展しなかったとされる。

当時、ある警察庁関係者は、最高指揮官の類型として。
①有能有為。
②無能無為。
③有能無為。
④無能有為。
の四パターンを挙げ、こう言い切っていた。

「菅首相がどれに当てはまるかもう分かるだろう。
無能なのに、できもしないことをやろうとする最悪のパターン。
無能有為型だよ。
これが一番、始末に悪い」。

無能であるにもかかわらず、部下の業務を過剰に管理・介入したがる悪しき「マイクロマネジメント」の典型がここにある。
己の限界も足らざるところも知らぬ半可通が全て仕切ろうとし、必然的に多くの失策を犯した。
それが官邸の事故対応の本質だったのだろう。
これは菅氏による人災である。

被災者支援も遅れた。

菅氏の在任時に東日本大震災が起きたことは、よく社会党の村山富市首相時代に阪神・淡路大震災が発生したことと比べられる。
中には、菅氏に怒鳴られ続けた班目春樹元原子力安全委員長のように「あんな人を首相にしたから天罰が当たったのではないか」と思うに至った人物もいる。
だが、村山内閣と菅内閣の両方で震災対応にあたった官僚は、二人はまるで違うと語る。

「村山さんは自分の無能さを知っていて、『全部任せる。
責任はワシがとる』と言ってくれた。
それに対し、菅さんは己の無能は認めず、『全部俺を納得させてからやれ。
失敗したらお前らのせいだ』だった」。

人格、識見、政治力から自己認識能力まで、全く首相の器ではないのである。
そんな菅氏の震災対応で特に問題だったのは、これまであまり指摘されてこなかったが、被災者支援の遅れである。
当時の官邸危機管理センターの様子を知る関係者はこう証言した。

「首相のクレイジーな原発へのこだわり方で、被災者支援は10日遅れた。
首相は警察庁や総務省に出すべき指示は出さず、全く動かしていなかった」。

この点に関しては、こんなひどい話も資源エネルギー庁の官僚から聞いた。
震災発生から1週間から10日たって、突然、面識もない菅氏から携帯に電話がかかってきたのだという。
何事かと耳を近づけると、いきなり怒鳴り声が飛び込んできた。

「アブラ、アブラ、アブラ。
/・○×▼■。
お前のせいだ、お前のせいだ」。

被災地でのガソリン不足が問題視され始めた時期だったので、この官僚はそれを何とかしろという電話だと推測したが、担当部署にいるわけでも何でもない。
彼は話した。

「菅さんは、役所のどこのボタンを押せばいいのかまるで分かっていなかった。
それで物事が進まないと、今度は官僚のサボタージュだと言い出す。
どうしようもない」。

当時、ある全国紙の官邸キャップが私に、こう話しかけてきたのが印象深い。

「菅官邸の現状について、本当のことを書くと読者が『まさかそんなにひどいはずがない』と信じてくれないんです」。

国民の常識と良識が、事実を見えないように国民の目をふさいでいたのである。
繰り返すが、掛け値なしに「悪夢」の時代だった。
菅氏と仲がよかった朝日新聞などメディアが、菅氏の無残な実像をストレートに伝えなかったことも、菅内閣を助けていた。

以下は前章の続きである。

菅内閣の純化。
立憲民主党。

さて、そんな菅内閣は今、野党第一党となって復活を遂げている。
立憲民主党の主要メンバーは、失敗の象徴ともいえる菅内閣のそれと同じなのである。
菅氏は党最高顧問に収まり、菅内閣の官房長官だった枝野氏は代表、官房副長官だった福山哲郎氏は幹事長、首相補佐官だった辻元清美氏は国対委員長。
という次第である。

安倍首相は菅内閣発足時、「極めて陰湿な左翼政権」と呼んだが。
*安倍首相が稀代のリアリストで物事を正確に見ている稀有な政治家である事を証明していたわけである。*
菅内閣がさらに純化されて、また野党の気楽さもあり左傾を強めたのが立憲民主党だといえる。
それが証拠に、立憲民主党は参院で社民党と統一会派を結成した。
夏の参院選では、共産党とも手を組み協力する手筈である。

枝野氏は自らを保守だと言いたがるが、自衛隊は憲法違反だと主張する社民党や共産党と組んで、何が保守だろうか。
立憲民主党が社民党と一つになれば、それは旧社会党の復活にほかならない。
反原発など社会党のような政策を掲げ、何でも政府に反対を叫んで醜聞追及ばかりしていても、国民の期待も関心も集まらず、再び政権の座に就くことなどできないだろう。

ところが、「枝野一強」といわれる立憲民主党内では「枝野氏はお山の大将だ。
それが心地いいのだろう」「枝野と側近がすべてを決めている。
枝野は今のままでいいと思っているのではないか」などといった観測が広がっている。

確かに、万年野党第一党の独裁者として党を支配し、ただ政府・与党の批判を続ければいいという立場は楽ちんだろう。
だが、そんな野党は国益に何も寄与しない。
国民の税金でまかなわれる議員歳費と各種手当てを喰らい続ける菅内閣の亡霊など、日本に必要ない。

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