最澄の生地で知った日本の深さ。後漢王族を受け入れた国の歴史が、私の確信をさらに強めた。
本稿は、広開土王碑や任那をめぐる記述、そして比叡山・坂本・日吉大社周辺を繰り返し訪ね歩く中で得た実感を重ね合わせながら、日本古代史への確信を語る一文である。
産経新聞記者・佐々木類氏の著作を契機として、倭が朝鮮半島南部に影響力を持っていた可能性への認識を深める一方、実際に最澄ゆかりの地を訪れて、最澄が後漢王族の末裔であることを知った驚きが、その確信をさらに強めたと述べている。
日本という国が、亡国の王族さえ受け入れ、連続する文明を育んできたこと自体が、古代史を考える上での重要な手がかりであると示唆している。
2019-03-03
入って驚いた。
ここが最澄の生まれた場所である事。
滅ぼされた後漢の王族が日本に逃れて来て、日本はここに彼らを住ませた。
前章を再読していて私はある確信を持ったのである。
先般、日本の宝物として生きている産経新聞記者佐々木類氏の以下の書籍p25で私に教えてくれた事が、その契機である。
報復心理というのなら、日本府があった任那はじめ、倭が新羅や百済を臣民とした、などと書かれている中国吉林省の広開土王碑にある通り、朝鮮半島南部の一部は日本領だったと主張する方がまだ、説得力がある。
韓国人たちが、朝鮮半島南部にある日本固有の前方後円墳をなぜ、壊し始めたのかも説明してもらいたいものである。
これらがあると、都合が悪くなるからではないだろうか。
現代も中国吉林省に立っている広開土王碑には、391年に倭、日本、が海を渡って百済、新羅などを臣民としたと読みとれる字や、倭軍と高句麗軍とが交戦した記載があった事を、5年前の8月まで朝日新聞を購読していた私の脳裏から消えていた事を教えてくれた事が、私が確信するに至る契機だった。
398年には沿海州地方の碑麗、ひれい、沃沮、よくそ、地方を征服し、400年には倭軍に占領された新羅に5万の大軍を派遣し、これを救うと、倭軍を追って任那、にんな、加羅、から、に迫った。
しかし、安羅、あんら、などに反撃されて北帰した。
高句麗軍が南下するのをみて、燕は遼東地方に侵入したが、あまり成果は得られなかった。
404年に高句麗は倭軍の反撃を帯方地方、黄海道、で食い止め、以後、漢江下流域の攻防となった。
410年には北方の東扶余、ふよ、を服属させた。
このように広開土王は、南方の百済、倭、北西方の燕と厳しく対立しながら、朝鮮中央部から遼河に至る地域を確保した。
この労作をインターネットという人類史上最大の図書館に掲載してくれた人は、まとめ、感想など、として、
この改竄説は、韓国系および朝鮮系の学者の学者たる資質を疑わせしめよう。
倭国に過去、征服されていたという事実を認めたくないという、いわば恣意的に歴史をミスリードさせようとしたものであろう。
改竄したとされる酒匂氏こそ、迷惑極まりない。
学問とは、事実のみの上に立脚するものである。
と書いていた。
*私が疑いようのない確信を持つに至った経緯には、10数年前に3度目の京都再発見をして、週末になれば京都、滋賀を訪問し、今では快晴の日、桜等の季節毎に訪れているからである。
京都に居れば常に比叡山が見えるのは言うまでもない。
行きたいと思っても京都から比叡山に入るのは乗り換えの連発で面倒なのと時間がかかるから、京都に居て敢えて時間のかかる事をする必要はない。
京都で出会う若い京都人に、京都以外の何処にも行ったことが無いという人が結構いるのは全く当然だと私は納得していた。
世界最高の街に住んでいる人間が何処にも行きたいとは思わないのは、むしろ自然だからである。
ところが、ある日、JRの新快速直通で比叡山の登り口である坂本に行ける事に気が着いた。
おまけに坂本の比叡山ケーブルは歴史的なものだという。
即刻、比叡山に向かった。
もっと早くに来れば良かったと後悔したのだが。
以来、頻繁に比叡山に行った。
琵琶湖が長らく日本最高の景観の地であったこと。
紀貫之は、琵琶湖の眺めを愛したこと。
彼の墓所が比叡山ケーブル途中の、もたて山駅にあること。
この事を契機に私は紀貫之を日本史上最も重要な人間の1人に格上げしたのであるが。
何度も往来している内に、日吉神社もとても好きになった。
ここと比叡山坂本駅までの坂本の道の両サイドもとても好きになった。
そんなある日に驚愕の出来事があった。
この道の途中に小さいが入ってみようと思わせる佇まいの寺がある。
入って驚いた。
ここが最澄の生まれた場所である事と、最澄は。
中国は極端に言えば、100年単位で統治する国が変わる国、易姓革命の国だから、栄枯盛衰が常の国。
だから民間企業でも大体3代しか続かない。
滅ぼされた後漢の王族が日本に逃れて来て、日本はここに彼らを住ませた。
この驚きと言うか、偶然寄って初めて知った事実が、今回の私の確信に繋がっているのである。*
この稿続く。