李承晩ラインの暴虐—日本漁民を襲った韓国政府の不法拿捕と、消えぬ被害の記録—
韓国政府による反日行為の具体例として、李承晩ラインの一方的設定と、それに伴う日本漁民への不法拿捕・虐待・抑留の実態を記録した一節である。
韓国警備艇は公海上で日本漁船を襲撃し、多数の死傷者を出したうえ、拿捕された漁民に対しては拷問、自白強要、劣悪な獄中生活を強いた。
家族もまた経済的・精神的に破壊されながら、韓国は今日に至るまで謝罪も補償も行っていないという事実を、具体的数字とともに告発している。
2019-03-02
残された家族には、重い経済的、精神的負担が発生し、堪えかねて妻が発狂したり、自殺した者もいた…にもかかわらず、韓国は現在に至るまで一言の謝罪も補償もしていない
以下は前章の続きである。
3・反日行動の実例。
韓国の人々は上記のような教育を受けて育つため、当然ながら官民ともにあらゆる局面において反日的行動に走ることになる。
3-1・韓国政府による反日行為の例。
3-1-1・李承晩ラインによる日本漁民虐待。
日本の主権回復を承認するサンフランシスコ平和条約発効直前の1952年1月18日、韓国は海洋資源を独占し、同時に島根県・竹島を取り込み領土を拡張するため、日本海の公海上に一方的に軍事境界線(李承晩ライン)を引き、内側を排他的経済水域とした。
李承晩ラインはいかなる国際法をもっても正当化できるものではなく、日本政府も当然認めていない。
しかしながら、韓国政府は李承晩ラインを正当なものと主張し、韓国の警備艇は李承晩ラインの外側を航行中の日本漁船にまで見境なく襲い掛かり、罪のない日本漁民を拿捕して釜山港へ連行した。
韓国警備艇による不法な取締りは苛烈を極め、射殺、体当たりなどにより死亡者が多数発生した。
日韓漁業協議会発行の『日韓漁業対策運動史』に、当時の詳しい記録が残っている。
拿捕され抑留された日本漁民には、棒でたたくなど残虐な拷問が加えられ、自白を強要し、文明国では考えられない人権を無視した一方的な裁判で判決を言い渡した。
獄中生活は悲惨を極めた。
雑居房には20人前後が押し込められ、手足だけでなく、体も重ねあわせて寝なければならなかった。
食事の不潔さは言語に絶し、カビの生えた麦、腐敗した魚はたびたびで、人間の食べる物ではなかった。
ほぼ全員が栄養失調状態となって死線をさまよい、ついに餓死者まで出たのだ。
1954年以降は、「刑期」を終了した者さえ釈放せず、帰国の希望を奪われた抑留者は、肉体的にも精神的にも限界を超え、狂乱状態になる者もあった。
残された家族には、重い経済的、精神的負担が発生し、堪えかねて妻が発狂したり、自殺した者もいた。
1965年に結ばれた日韓基本条約に付随する日韓漁業協定が締結されるまでの間、韓国の不法拿捕により抑留された日本漁民は3,929人、不法拿捕された漁船は328隻、拿捕時の攻撃による死傷者は44人(うち死亡者29人)、負傷者84人、物的被害総額は当時の金額で約90億円にも上る(日韓漁業協議会発行『日韓漁業対策運動史』より)。
にもかかわらず、韓国は現在に至るまで一言の謝罪も補償もしていない。
この稿続く。