オランダはなぜ日本に執拗な敵意を向け続けるのか。戦後処刑、賠償要求、慰安婦問題に見る対日姿勢の本質。

2014年10月23日号の記事を踏まえ、戦中・戦後を通じたオランダの対日姿勢を、戦後の報復処刑、二重の賠償要求、昭和天皇への非礼、そして慰安婦問題への執着という一連の流れの中で論じた一篇である。
セレベス島メナドでの堀内豊秋大佐処刑、オランダ王室の振る舞い、ベアトリクス女王による宮中晩餐会での発言、さらに外相ティマーマンスの慰安婦問題発言を通じて、オランダの対日言動に一貫しているものは何かを問いかけている。
表向きの道義や人権の名目の背後に、金銭要求と日本攻撃の意図が潜んでいるのではないかと批判的に論じた文章である。

2019-04-21
新国王も宮中晩餐会の席上でカネを要求するという意味なのだろう。
オランダ人の祖先が韓国人だと聞いてもそう驚かない。

以下は前章の続きである。
結局、終戦まで寝て暮らしたオランダ人は戦後、日本側の待遇に因縁をつけて連合国軍の中で最多の226人を報復処刑した。
最後に処刑されたのは堀内豊秋大佐。
セレベス島メナドに降下した海軍落下傘部隊の隊長で、逃げ回った現地司令官F・ティウォン大佐を捕虜にした。
戦後、この男が堀内大佐を偽りの罪で告発し、自ら裁判官になって彼に死刑を宣告した。
なぜ死刑かとの日本人弁護人の問いにティウォンは「なぜなら彼が日本人だからだ」と答えた。
高松宮さまがユリアナ女王に大佐の助命を乞うたが、女王は無視し、大佐は昭和23年9月25日、メナドで処刑された。
ティウォンほどの卑劣漢を他に知らない。
オランダは戦後賠償でも十分にいやらしさを発揮した。
当初、紳士面して賠償放棄を公言しながら陰で当時の金で36億円を取った。
さらに1991年、訪日したベアトリクス女王が宮中晩餐会の席で「日本には賠償を払う義務がある」と非礼の挨拶をし、2度目の賠償金を取り立てた。
その2年前の昭和天皇の御大喪にはオランダ王室だけが欠席した。
ちなみに昭和天皇は昭和46年にオランダを訪問されたが、オランダ人はお車に生卵と鉄製の湯たんぽを投げつけ、植樹された苗木も抜き折って歓迎した。
そのオランダの新国王訪日を前に先日、外相ティマーマンスが会見して「慰安婦も河野談話も生きている」と語った。
朝日新聞が慰安婦の虚構を懺悔したのを受けてオランダの姿勢を語ったもので、外相は「今後も両国の高官会談では常に慰安婦問題を提起する」(朝日新聞)と付け加えた。
新国王も宮中晩餐会の席上でカネを要求するという意味なのだろう。
オランダ人の祖先が韓国人だと聞いてもそう驚かない。
(2014年10月23日号)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください