「世論」と「輿論」の違い。西部邁と上島喜朗が衝く大衆社会とマスコミ支配の本質。
本稿は、2018年5月7日に発信した章をもとに、月刊誌『Voice』掲載の上島喜朗氏の論文を手がかりとして、西部邁氏が提示した「世論」と「輿論」の違いを論じる一篇である。
庶民の常識的判断としての「輿論」が、大衆化した「世論」によって圧倒され、さらにその動きをマスコミが統轄しているという構図を通して、戦後日本の議会政治と言論空間の劣化を鋭く描いている。
民主主義、大衆社会、マスコミ支配の問題を考えるうえで極めて重要な視点を与える論考である。
2019-04-19
庶民が大衆に変じ、金銭と教育を手にして社会の前面に出てきたその挙げ句に、世論によって議会を左右したり倒壊させたりしている。
その動きを統轄しているのはもちろんマスコミである。
事の軽重もわきまえぬ安倍叩き、吟味のない不毛な議論にかまけている暇はない。
と題した上島喜朗氏の論文からである。
と題して2018-05-07に発信した章である。
4/10に発売された月刊誌Voice5月号には読むべし論文が満載されていると友人に話したはいいが、多くの論文を読み残していた事に気が着いた。
以下は事の軽重もわきまえぬ安倍叩き、吟味のない不毛な議論にかまけている暇はない。
と題した上島喜朗氏の論文からである。
これらの論文が満載されていながら月刊誌Voiceは780円なのである。
活字が読める日本国民全員が5/10には最寄りの書店にダッシュして購読しなければならない。
そうしなければ貴方が物事の真相を知る事は決してないからである。
上島喜朗…1958年、長野県生まれ。
91年に産経新聞社入社。
サンケイスポーツ編集局整理部、『月刊日本』創刊編集長などを経て、98年より『正論』編集部に在籍、2006年に編集長に就任。
14年7月、産経新聞社を退社。
著書に、『優位性思考に学ぶ大東亜戦争「失敗の本質」』。
共著、PHP研究所。
『韓国には言うべきことをキッチリ言おう!』。
ワニブックスPLUS新書。
がある。
見出し以外の文中強調は私。
「世論」と「輿論」の違い。
この一月に自裁した西部邁氏は、「世論」と「輿論」をこう分けていた。
〈世論は大衆社会にあって、「世間で流行している暫時の意見」のことであり、それは。
新たに単純模型化されているため。
刺激力があり。
単純数量化をほどこされているため。
流通力がある。
これにたいし、すでに廃語になっている様子だが、輿論は。
歴史という伝統を運搬する。
「車の輿。
台。
にいる庶民の常識的な判断」のことと解釈される。
大衆の世論は「政策の数値・期限・段取」。
近年、マニュフェストと呼ばれているもの。
について、実は一丁字もないくせに、良いの悪いのと大口を叩く。
他方、庶民の輿論は「政治家にかんする人物判断」については大きく的は外さず、政策については議会の審議にひとまずまかせる。
そうした良識を手放さないという意味で、庶民の公民性は強いといってよい。
だが、その庶民が大衆に変じ、金銭と教育を手にして社会の前面に出てきたその挙げ句に、世論によって議会を左右したり倒壊させたりしている。
その動きを統轄しているのはもちろんマスコミである〉。
「文明の敵・民主主義を撃て!」『正論』平成22年7月号。
この稿続く。