単純な民族主義は危うい—「因果ストーリー」を共有する人々としての民族—
民族とは、歴史・文法・慣習・常識といった「因果ストーリー」を共有する人々であり、最初から完全無欠な存在ではない。古田博司氏の議論を踏まえ、日本民族が見落としてきた歴史的欠落、奴隷制や拉致奴隷への理解不足、そして慰安婦問題をめぐる認識の弱さを通して、単純な民族主義の危うさと、民族が学習によって賢くなっていく必要性を論じた一文である。
2019-04-11
単純な民族主義はあやうい。
この「因果ストーリーを共有する人々」が民族だ。
だから敗戦奴隷としてシベリアに連れていかれても抑留にすぎないと思って働いてしまった。
と題して2018-11-06に発信した章である。
以下は「統一鮮は危険なファンタジー」と題して昨日、産経新聞の正論欄に掲載された古田博司筑波大学大学院教授の論文からである。
前にこの「正論」欄で、「歴史には進歩も必然もない」と言ったのだが、ならば何が進歩するのかと言えば、人間に決まっているではないか。
歴史は人間が書くのであり、人間が「歴史神」に書かれるわけではない。
ただ、人間は一代で死んでしまうから、子々孫々伝えられて進歩していくのである。
それが何かと言えば文化である。
もっと細かく書くと、「歴史・文法・慣習・常識」などの因果ストーリーである。
封建制といえば、織田・豊臣・徳川がすぐ頭に浮かぶとか、日本料理はこうやって盛りつけると美しく見えるとか、なんで偉大な力士の貴乃花が小物の親方たちに処分されるのか非常識だとか、全部因果ストーリーである。
◎単純な民族主義はあやうい。
この「因果ストーリーを共有する人々」が民族だ。
封建制と韓国人に言ってもわからない。
そんな歴史はないからである。
ずっと王制で中央集権だったので、地方が領主によって産業化されることがなかった。
韓国のデパ地下には地方色に彩られた豊富な品ぞろえはない。
封建制が世界中にあったというのはマルクスのウソである。
そんなわけで「民族」は万全なものではない。
歴史上関心を持たなかったことは脱落している。
日本民族の場合、分業好きでみんなが働いていたので「奴隷制」がわからない。
だから敗戦奴隷としてシベリアに連れていかれても抑留にすぎないと思って働いてしまった。
拉致奴隷がわからないから、韓国人に「女を拉致して性奴隷にした」と言われると、実は商業売春婦なのに、そんなもんかと思って濡れ衣を着せられてしまった。
二度と騙されないように「脱落のプロトコル(命題)」として学んでおこう。
民族はそんなふうに努力して、しっかりさせていくものなのである。
だから子々孫々、進歩して、賢くなる。
始めから自分は万全だと思い込む単純な民族主義はだめだ。
それだとファンタジーになってしまう。
この稿続く。